デジタル大辞泉 「マンダレー王宮」の意味・読み・例文・類語 マンダレー‐おうきゅう〔‐ワウキユウ〕【マンダレー王宮】 《Mandalay Royal Palace》ミャンマー中部の都市マンダレーにある同国最後の王朝による旧王宮。約3キロメートル四方のほぼ正方形の敷地が、幅70メートルの濠ほりと城壁に囲まれ、4本の橋と監視塔がある。1857年にコンバウン朝を開いたミンドン王が建設を開始。1885年、英国に占領され、ティーボー王はインドへ追放された。第二次大戦中に王宮は戦禍に見舞われて焼失。1990年代に再建された。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
世界の観光地名がわかる事典 「マンダレー王宮」の解説 マンダレーおうきゅう【マンダレー王宮】 ミャンマー中央部、同国第2の都市マンダレーにある旧王宮で、ミャンマー最後の王朝、コンバウン朝の王宮。この王宮は3km四方が幅70mの濠と高さ8mの城壁に囲まれ、東西南北計4本の橋で街と結ばれている。内部には王宮博物館もある。アマラプラからマンダレーに遷都(せんと)したミンドン王が1857年から建設を開始し、4年の歳月を経て完成した。1885年、ビルマを占領したイギリス軍は王宮を軍の施設として接収。1942年、ミャンマーに進出した日本軍に占領されたが、1945年3月、この王宮は日本軍と英印連合軍との戦闘に巻き込まれ焼失した。戦後再建され、現在はミャンマー軍の施設として軍の就任式などに使用されている。王宮の一部が一般に開放されている。 出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報