ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マントイフェル」の意味・わかりやすい解説
マントイフェル
Manteuffel, Otto, Freiherr von
[没]1882.11.26. クロッセン
ドイツ,プロシアの政治家。 1841年東プロシア州の官僚となり,47年第1次連合州議会議員。 48年ブランデンブルク内閣の内相となって自由主義運動を弾圧,封建的な三級選挙法や上院設置法を含む欽定憲法の制定に貢献。 50年外相となり,オーストリアの F.シュワルツェンベルクとオルミュッツ協定を締結。同年 12月には首相兼外相として保守派の反動政治の中心人物となり,官僚による支配体制を確立。 58年ウィルヘルム1世が摂政となり「新時代」を開始するに伴い罷免された。 66年には上院議員,76年にはブランデンブルク州議会議長となるが,もはや政界に力をもたなかった。主著『プロシアの外交政策』 Preussens auswärtige Politik1850-58 (3巻,1902) 。
マントイフェル
Manteuffel, Edwin, Freiherr von
[没]1885.6.17. カルルスバート
ドイツ,プロシアの軍人,外交官。 1827年プロシア軍に入隊。 54年以後外交官となり,57年宮中軍事官房長官となって軍制改革に努めた。 64年の対デンマーク戦争に参加ののちシュレースウィヒ総督。 66年プロシア=オーストリア戦争でホルシュタインのオーストリア軍を破り,さらにハノーバー,バイエルンを破った。 71年普仏戦争で第1軍団司令官としてメッツ会戦に参加,次いで第1軍を指揮してアシアンにフランス軍を破り,さらに新編成の南方軍司令官として南フランスを制圧。 71~73年フランス占領軍司令官。 73年元帥,ベルリン軍政長官。 79年アルザス=ロレーヌ総督。
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