現代外国人名録2016 「マーティンスコセッシ」の解説
マーティン スコセッシ
Martin Scorsese
- 職業・肩書
- 映画監督・プロデューサー,俳優
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1942年11月17日
- 出生地
- ニューヨーク市クイーンズ
- 本名
- Scorsese,Martin Charles
- 学歴
- ニューヨーク大学映画学科〔1964年〕卒
- 勲章褒章
- レジオン・ド・ヌール勲章
- 受賞
- アカデミー賞作品賞・監督賞(第79回,2006年度)〔2007年〕「ディパーテッド」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第29回)〔1976年〕「タクシー・ドライバー」,カンヌ国際映画祭監督賞(第39回)〔1986年〕「アフター・アワーズ」,ベネチア国際映画祭銀獅子賞・監督賞(第47回)〔1990年〕「グッド・フェローズ」,ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞・監督賞〔1990年〕「グッド・フェローズ」,ロサンゼルス映画批評家協会賞作品賞・監督賞〔1990年〕「グッド・フェローズ」,全米映画批評家協会賞作品賞・監督賞(1990年度)〔1991年〕「グッド・フェローズ」,BAFTA賞監督賞〔1991年〕「グッド・フェローズ」,ベネチア国際映画祭特別功労賞(第52回)〔1995年〕,AFI生涯功労賞〔1997年〕,ゴールデン・グローブ賞監督賞(第60回,2002年度)〔2003年〕「ギャング・オブ・ニューヨーク」,ゴールデン・グローブ賞監督賞(第64回,2006年度)〔2007年〕「ディパーテッド」,エミー賞(連続ドラマ部門監督賞,第63回)〔2011年〕「ボードウォーク・エンパイア 欲望の街」,ゴールデン・グローブ賞監督賞(第69回,2011年度)「ヒューゴの不思議な発明」
- 経歴
- 両親はシチリアからの移民で、ニューヨークのリトル・イタリーで育つ。幼い時、ぜん息に悩まされ、過激な運動を禁止され、映画館やテレビで映画に親しんだ。14歳の時牧師を志すが、ニューヨーク大学に入った後に映画志望に転じ、フィルム・コースに学んだ。1963年「What’s a Nice Girl Like Doing a Place Like This?」を初演出。’67年「ドアをノックするのは誰?」で長編監督デビュー。’68年オランダに渡ってコマーシャルの製作に従事。’69年帰国。「ウッド・ストック」(’70年)の編集、「エルビス・オン・ツァー」(’72年)の編集監修を務めた後、「明日に処刑を…」(’72年)で商業映画を初監督。’76年「タクシー・ドライバー」でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞。「レイジング・ブル」(’80年)から「アビエイター」(2004年)まで過去5回アカデミー賞の監督賞候補となり、2007年香港映画「インファイナル・アフェア」をリメイクした「ディパーテッド」(2006年)で監督賞など4部門を制して初のオスカー獲得となった。2012年には3D作品「ヒューゴの不思議な発明」(2011年)がアカデミー賞の最多11部門にノミネートされ、撮影賞など5部門で受賞した。他の作品に「ミーン・ストリート」(1973年)、「アリスの恋」(’74年)、「ニューヨーク・ニューヨーク」(’77年)、「アフター・アワーズ」(’85年)、「ハスラー2」(’86年)、「最後の誘惑」(’88年)、「グッド・フェローズ」(’90年)、「ケープ・フィアー」(’91年)、「エイジ・オブ・イノセンス」(’93年)、「クンドゥン」(’97年)、「救命士」(’99年)、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)、「ボブ・ディラン:ノー・ディレクション・ホーム」(ドキュメンタリー,2005年)、「シャイン・ア・ライト」(ローリング・ストーンズのライブドキュメンタリー,2007年)、「シャッターアイランド」(2010年)、ドキュメンタリー「ジョージ・ハリソン」(2011年)、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(2013年)などがある。2003年ハリウッド殿堂入り。1989年黒沢明監督の新作「夢」に出演のため来日。2009年遠藤周作の小説「沈黙」を題材にした映画撮影のため長崎を訪問。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報