山川 世界史小辞典 改訂新版 「マーニー」の解説
マーニー
Mānī
216頃~274/276頃
バビロニア生まれの宗教家で,マニ教の開祖。インドへの旅ののち新宗教を創始。布教に熱心でエジプトや中央アジアにも伝道団を派遣。サーサーン朝のシャープフル1世には受け入れられたが,バフラーム1世により処刑された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
216頃~274/276頃
バビロニア生まれの宗教家で,マニ教の開祖。インドへの旅ののち新宗教を創始。布教に熱心でエジプトや中央アジアにも伝道団を派遣。サーサーン朝のシャープフル1世には受け入れられたが,バフラーム1世により処刑された。
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…イラン人マニMani(216‐276∥277。正確にはマーニーMānī)によって3世紀に創始,唱導された二元論的宗教。当時のゾロアスター教を教義の母体として,これにキリスト教,メソポタミアのグノーシス主義と伝統的土着信仰,さらには仏教までを摂取,融合した世界宗教である。…
※「マーニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」