改訂新版 世界大百科事典 「リヨン公会議」の意味・わかりやすい解説
リヨン公会議 (リヨンこうかいぎ)
フランスのリヨンで開催された2回の公会議。(1)第1回(1245) 召集者インノケンティウス4世Innocentius Ⅳの開会説教によれば,この会議の目的は聖職者および信者の不道徳な生活,イスラム教徒の脅威,東方教会の離教,タタール人のハンガリー侵入,教会と皇帝の不和という五つの病傷を取り扱うことであった。しかし,神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対する帝位剝奪と第3回目の破門を宣言した以外にはほとんど成果がなかった。
(2)第2回(1274) グレゴリウス10世Gregorius Ⅹによって召集されたこの公会議では多数の高位聖職者,各国の国王使節のほかモンゴルのアーバーカー・ハーンの使者などが参加し,教皇選挙法の改正,東西教会の合同,イスラムに対するモンゴル・西欧軍の共同など顕著な成果をあげた。
執筆者:今野 國雄
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