リヨン公会議(読み)リヨンこうかいぎ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リヨン公会議」の意味・わかりやすい解説

リヨン公会議
リヨンこうかいぎ
Councils of Lyons

フランスのリヨンで開かれた2回のカトリック教会会議。 (1) 第1回 (1245)  教皇インノケンチウス4世が招集,フランスとスペインの司教を主勢力として約 150名が参加。最大の課題であった神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の破門,帝位剥奪を行い,ラテン帝国防衛と聖地回復のための租税など,22章を決議した。 (2) 第2回 (74)  ギリシア教会との合同,聖地回復,教会改革を主要議題として教皇グレゴリウス 10世が招集。各地から 200名の司教が参加し,ギリシア教会の名目的代表も加わった。彼らは教皇首位権の規定を含む信条を受容し,ミサではフィリオクェを含む使徒信条が唱えられ,つかのまの東西教会の合同が達成された。全枢機卿参加のコンクラーベ (秘密教皇選挙会) を定め,十字軍のための租税,群小托鉢修道会の禁止などを決めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リヨン公会議」の意味・わかりやすい解説

リヨン公会議
りよんこうかいぎ

フランスのリヨンで開かれた宗教会議。第1回のリヨン公会議(第13回公会議)は、教皇インノケンティウス4世時代の1245年に開かれ、聖地エルサレムのイスラム教徒からの回復、および教皇とドイツ皇帝フリードリヒ2世との確執に関する議題を取り扱った。そこにおいて、皇帝の有罪、破門、廃位が決定された。第2回目(第14回公会議)は、1274年、グレゴリウス10世のときに行われ、教皇選挙法改正、ラテン教会とギリシア正教会との合同の試み、および両教会による聖地回復が討議され、いちおうの議決を得た。しかし教会合同は単なる名目に終わり、短期間のうちにギリシア教会は再離散した。この会議は、教義上の問題の解決がいかに困難であったかを示す中世後期の一事例である。

藤川 徹]

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