スウェーデンの経済学者。ダーラナに生まれる。ストックホルム大学でK・ウィクセル、G・カッセルらの指導を受け、1927年に博士号を取得し、同大学の私講師となった。29~30年にアメリカに留学。30年には『経済学説と政治的要素』と題し、経済学的事実認識への価値判断の混入を戒めた経済学史を公刊(しかし、53年の英訳版の序文においては、実証主義から脱皮し、価値前提なしに事実認識は不可能であると説いた)。ついで『貨幣的均衡論』(1931)を公刊。貨幣的なシステムにおける予想の重要性に着目、変数の事前・事後の値の区別を導入し、ストックホルム学派(北欧学派)経済学に貢献した。31~32年ジュネーブの国際問題大学院の教授、33年ストックホルム大学教授、34~36年上院議員。38~42年カーネギー財団の委嘱によりアメリカにおいて黒人問題の調査研究に従事、『アメリカのジレンマ』(1944)を書き、社会学的要因にまで視野を広げて経済問題を考える素地をつくった。帰国して42~46年上院議員、経済計画委員会議長、44~47年商務長官。47~57年国連ヨーロッパ経済委員会委員長。その後、開発途上国問題に関心を向け、『経済理論と低開発地域』(1957)、『アジアのドラマ』(1968)などを公刊し、経済的選択すら選択者を取り巻く社会によって条件づけられるという見解をとり、制度学派的色彩を強めた。61~65年ストックホルム大学国際経済研究所を主宰。74年にノーベル経済学賞を受賞した。なお、彼の妻アルバ・ミュルダール(社会学者)も82年にノーベル平和賞を受賞している。
[佐藤隆三]
『山田雄三・佐藤隆三訳『経済学説と政治的要素』(1967・春秋社)』▽『傍島省三訳『貨幣的均衡論』(1943・実業之日本社)』▽『小原敬士訳『経済理論と低開発地域』(1959・東洋経済新報社)』▽『板垣与一監訳『アジアのドラマ』全2冊(1974・東洋経済新報社、S・S・キングによる縮約版の邦訳)』
スウェーデンの社会学者。ウプサラに生まれる。ストックホルム大学で社会学、教育学などを学び、1924年に卒業、同年経済学者のグンナル・ミュルダールと結婚した。グンナルは1974年にノーベル経済学賞を受賞している。1934年にはウプサラ大学で修士号を取得、また同年に出版した夫妻の共著『人口問題の危機』は国際的な評価を得た。社会福祉、女性の地位向上のために活躍、さらに1943年には社会民主党のメンバーとして、政府の戦後の国際援助および再建委員会の委員に任命された。
第二次世界大戦後の1949年に、国連社会問題局の局長に就任、1950年から1955年まで国連教育科学文化機関(UNESCO(ユネスコ))の社会科学部長を務めた。1962年にジュネーブ軍縮委員会(現、軍縮会議)のスウェーデン代表に選ばれ、非同盟諸国のリーダーとして、米ソ二大勢力の圧力に抗して具体的軍縮案の実現に努力した。以後、1973年に引退するまで長年にわたって軍縮運動に貢献、1982年にはメキシコのガルシア・ロブレスとともにノーベル平和賞を受賞した。夫妻が別々の分野でノーベル賞を与えられたのは初のことである。そのほか、アルバート・アインシュタイン平和賞、ノルウェー国民平和賞などを受賞している。
[編集部]
『アルヴァ・ミュルダール著、豊田利幸・高榎尭訳『正気への道――軍備競争逆転の戦略』1・2(1978・岩波書店)』▽『A・ミュルダール、V・クライン著、大和チドリ・桑原洋子訳『女性の二つの役割――家庭と仕事』(1985・ミネルヴァ書房)』
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スウェーデンの経済学者。1974年ノーベル経済学賞を受賞。大学教授のほかに,弁護士,政府の顧問・委員,国会議員,大臣など多彩な経歴の持主で,第2次大戦後,国連ヨーロッパ経済委員会の委員長として10年間ジュネーブに在勤し,ヨーロッパ再建に尽力した。学者としての研究領域も広く,マクロ経済学,経済学方法論・学説史,アメリカ黒人問題,国際経済学などにわたる。主著《アジアのドラマAsian Drama》(1968)は,1957年末から61年初めにかけて,当時インド駐在スウェーデン大使であった夫人のアルバ・ミュルダールとともに南アジアに滞在中,実施した調査研究にもとづく。圧倒的多数を占める表面的な議論を排し,発展途上国開発のむずかしさを,人間の〈態度〉と社会の〈制度〉の側面から率直に指摘した。
執筆者:飯田 経夫
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…実際,価値の概念はスコラ哲学や功利主義哲学における自然法的な思想を背景にして発展してきたのである。経済的価値の概念もまた,G.ミュルダールが《経済学説の発展における政治的要素》(1953)において綿密に検討したように,自然法の影響のもとに彫琢されてきたものである。しかし自然法的な思想は,事実判断と価値判断とを混同させているという意味で,後者から自由であろうとする科学にとって,障害になりやすい。…
…その数量分析が制度主義的とみなされるのは,ミッチェルにおいても,産業industryと営利企業business,あるいは財生産making goodsと金もうけmaking moneyの区別というベブレン流の制度理解があったからである。 これら3者にJ.M.クラークやG.C.ミーンズらを加えて旧制度学派とよび,《豊かな社会》のJ.K.ガルブレースや《アジアのドラマ》のK.G.ミュルダールらのように,より包括的かつ現代的な問題意識をもった経済学者たちを新制度学派とよぶのが普通である。つまり後者にあっては,〈生活の質〉とか南北問題といったような新たな論点に関心がそそがれている。…
…しかし,社会諸科学はそれぞれ独立したものとして論じられる傾向にあるため,社会的事実の一側面つまり物質的・技術的側面に関する部分的な研究として経済学を位置づけ,それと他の諸側面に関する研究とを総体的に関連づけるような試みは少なかった。このような個別諸科学の孤立性を反省して諸学の協同をはかろうとするのはK.E.ボールディングのシステム論,J.K.ガルブレースやK.G.ミュルダールの文明論などであるが,とくにT.パーソンズは,A.マーシャル,J.シュンペーターおよびJ.M.ケインズの経済学に含まれていた社会的要素を独自の社会学的分析装置によって明示化することを通じ,経済と社会の関係を理論的に究明しようとした。しかし今までのソシオ・エコノミックスは,社会諸科学の既存の成果を基本的に是認したうえでの協同研究という意味で,学際的interdisciplinary接近に属するが,それら既存の成果はさまざまのイデオロギーを伴っていることが少なくない。…
※「ミュルダール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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