福祉国家は新しい型の社会体制であり,それに先行する自由主義国家とも異なるし,これと対抗関係にある東欧型の社会主義国家とも違っている。それは私有財産制と利潤動機という資本主義の二つの基本的要素を受け入れている,という点で社会主義体制とは相いれない性格をもっている。しかし市場経済の欠陥を是正するために政府が積極的にこれに介入し,構成員全体の福祉向上を国家に義務づける集団主義的志向をもっているという点では資本主義体制とも違っている。福祉国家がしばしば半社会主義体制と半資本主義体制ないし半自由主義体制との混合体制とみなされているのはこのためである。福祉国家の経済的側面に注目してこれを混合経済mixed economyと呼んでいる理由も,このことから明らかであろう。
福祉国家の基底にある理念もまた,ある特定の哲学に基づいて形成されたものではなく,時代を異にして生まれた幾多の思想や哲学に起源を発し,それらが結合され融合されて今日にいたったものである。フランス革命の自由・平等・友愛,J.ベンサムによる功利主義,ビスマルクの社会保険の方式,ウェッブ夫妻のナショナル・ミニマム原則,ベバリッジの社会保障などは,その代表的なものである。これらの思想や理念にかなりの違いがあるにもかかわらず,ビスマルクを別にすると市民的自由を基礎とし,人道主義と平等主義を追求しているという点に共通性がある。福祉国家とは,このような理念に基づき,国民全体の福祉向上のために,政府がより積極的な役割を果たしている体制を備えている国家をいうのである。このため福祉国家は,すべての財貨・サービスが市場を通じて自由に交換され,生産能力に応じて分配されて政府の役割を最小限度に制約している自由放任型の夜警国家と異なっているばかりでなく,財貨・サービスの生産や分配に積極的に政府が介入しているが,市民的自由を大幅に制限している全体主義的な独裁型の警察国家ともその本質を異にしている。政治的・社会的自由と民主主義は福祉国家の不可欠の要素である。
福祉国家という用語の起源は必ずしも明確ではない。ドイツでは1880年代にビスマルクが創設した社会保険を含む政治体制を福祉国家Wohlfahrtsstaatと呼んでいるがこれはむしろ慈恵国家というのがふさわしい。現代的な意味で福祉国家という用語が用いられたのは,1930年代の終り,大恐慌のもとで市民の福祉を追求する民主主義政体への懸念が高まっていたとき,著名なオックスフォードの学者ジマンAlfred Zimmern(1879-1957)がファシスト独裁の権力国家に対照させたのが始まりだといわれている。しかしこの用語を文書の中に初めて載せたのは,イギリスのヨークの大主教W.テンプルである。彼はその著《市民と教会員》(1941)の中で,国家は一般市民の福祉向上のために存在するものであると規定したが,〈ベバリッジ報告〉(1942)にこの用語が用いられてからイギリスで広く用いられ,ファシズムに対するイギリスならびに連合国の戦争目的を明らかにし,国民の戦意高揚にも大きな役割を果たした。ベバリッジ自身は福祉国家よりも社会サービス国家social-service stateという用語のほうを愛好したといわれるが,これが戦後アメリカに浸透しはじめたころには自由放任か一般福祉国家かという文脈で受け入れられ,あるいは批判された。しかし,福祉国家の理念が民主主義の先進国のなかで根を下ろしていったことは福祉国家の本質を考えるうえできわめて重要な点である。
福祉国家の目標は,第1に貧困の解消であり,第2は生活水準の安定であり,第3は富・所得の平等化と機会の平等化であり,第4は国民一般の福祉の極大化である。この場合,政治的・社会的自由と民主主義が基本前提になっていることはいうまでもない。
貧困や窮乏の救済や解消が福祉国家の第1の基本目標であることに異論はない。貧困を個人の責任とする自由放任主義下の救貧法思想から,貧困発生の理由のいかんを問わずナショナル・ミニマムを全国民に保障するという生存権思想が定着したのは,ベバリッジの〈社会保障計画〉によるところが大きい。これはもとより人道主義に根ざしているが,貧困に象徴される経済的不自由からの解放によって人々の自由が拡大するということも無視できない点である。
第2の生活水準の安定というのは,将来の不確実な危険や障害の発生に対して適切な保護策が公的にとられることであり,社会保険の普遍化や各種の社会サービスの拡大によって具体化されている。社会保険の方式はビスマルクの社会保険立法に起源をもつものであるが,これがしだいに欧米先進国に普及する過程でも,対象者はまず低賃金の筋肉労働者であり,ついで一般労働者に拡大されたが,さらに進んで自営業従事者を含む一般国民にまで普遍化されたのは第2次大戦後のことである。社会保険や社会サービスの拡大によるリスクの縮小や不確実性の低下のための諸政策は,現状を打破し危険なフロンティアをきり開いて経済を発展させ生活水準の向上をもたらすという資本主義のエートスに反するものだ,との批判がある。しかし不確実性やリスクに対する安定策があればこそ創造的発展も可能になり,危険をおそれない新機軸に挑戦する気運を助長することになるという反批判も成立する。福祉国家が公共政策として展開している不確実性の縮小による国民生活の安定は,いうまでもなく反批判にみられる適度の対応策を前提としていることはいうまでもない。
第3の富・所得の平等化と機会の平等化も福祉国家の重要な目標である。富・所得の平等化が強調されるのは,その極端な不平等化が経済力のみならず,政治的・社会的権力の過度集中をもたらす可能性があるからである。富・所得の不平等化の是正は分布の両端における不平等を減少するということで,完全な平等化の実現ではない。過度な平等化はかえって社会的不公正をもたらし,最も創造的な人々の努力を減退させてしまうおそれがある。社会的公正を損なわないことが平等化の範囲を決定する場合の基準になる。機会の平等化ないし均等化には義務教育の普遍化と充実に加えて,就業の保障すなわち完全雇用政策がある。
第4の国民福祉の極大化は,最低生活水準の保障や機会の均等だけではなく,豊かな社会のもたらしている社会的アンバランス,すなわち私的部門に比べて生活環境,自然環境などにみられる社会公共部門の立遅れを是正し,生活の質を向上させることなどがある。
福祉国家では経済成長による財源の拡大等によって政策目標の多くは実現されたが,同時に多くの問題に直面している。第1に,福祉国家では政府主導で各種の政策が展開されてきたため,政府の組織が拡大し,官僚化,中央集権化を強めたことである。イギリスの行政学者W.A.ロブソンによれば,福祉国家は単一のセンターから放射状にのびるワイヤによって統制される機構になりつつあるということになり,いわば管理社会へと傾斜している。福祉国家が市民的自由と民主主義を基底にしていることを考えるならば,これこそ現代福祉国家の危機である。これを打破するには,分権化を進め,これまで中央政府の占有物と考えられてきた諸政策を地方自治体,地域の非政府機関,各種の地域集団,職域集団に下ろし,それぞれの役割分担と努力によって推進していくことが必要である。第2は,福祉国家はもともと最低保障と機会均等を最大の目標としていたにもかかわらず,しだいにその範囲の拡大とともに,政府への依存度が強まり,政府はまた再分配政策によって市民の多様な経済的欲求に対応するという態度をとってきたために,一方では非経済的サービスへの関心が低下し,他方では経済的権利の主張が強くなって適正な市民的義務の意識が低下してきたことである。人口高齢化が進行し,心身障害者が増加しているとき,福祉向上のために必要とされているのは個人のサービスである。社会のすべての成員が金銭ではなく時間の寄与によってこの必要にこたえていくのが一つの解決策である。また福祉国家は市民的連帯を基礎におかないかぎり成立しえない。市民や多くの利益集団が生存権に基づき政府による公共福祉の拡大を求めるときには,反面で義務を負っていることを自覚し積極的にその負担に応じていくことも必要である。国際連盟の提唱者でありノーベル平和賞を受賞したフランスのブルジョアLéon V.A.Bourgeois(1851-1925)が《連帯の哲学論集》(1902)の中で〈人は生まれながらにして人間社会の債務者である〉と述べているが,現代福祉国家の市民はこの点に思いを致すべきである。
→社会福祉
執筆者:地主 重美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
一般には、国民の福祉増進を国家の目標とし、現実に相当程度に福祉を実現している現代国家をいう。19世紀的自由国家、夜警国家とは異なり、単に消極的な秩序維持にとどまらず、積極的に国民生活の安定・確保を任務とする国家であり、この意味では積極国家、社会国家Sozialstaat(ドイツ語)と同義である。なお、近世ドイツ=プロイセンの啓蒙(けいもう)専制王政も福祉国家Wohlfahrtsstaat(ドイツ語)とよばれていたが、それは、公共の福祉、人民の幸福増進の名のもとに、国家が人民の生活のすみずみまで干渉する警察国家Polizeistaat(ドイツ語)であった。今日、一般的に使われている意味での福祉国家は、1930年代末のイギリスで、ナチスの権力国家ないし戦争国家warfare stateとの対比において、国民の福祉の維持・向上を目ざす国家を意味するものとして用いられたことに始まり、第二次世界大戦後イギリス、スウェーデンなど多くの西欧諸国において、福祉国家の実現を目標とする諸政策が積極的に展開されたことにより、世界的に普及した。
福祉国家の目標としては、貧困の解消、生活水準の安定、富・所得の平等化、国民一般の福祉の極大化などが掲げられるが、その具体的内容はそれぞれの国の歴史的・社会経済的諸条件により異なる。たとえば、イギリスでの福祉国家の形成に大きな影響を及ぼしたビバリッジ報告『社会保険および関連サービス』(1942)によれば、個々人の資力にかかわりなく全国民にナショナル・ミニマムを保障し、それによって「窮乏からの解放」を実現することが社会保障の目標であり、そのための制度としては、稼得の中断・喪失時に最低生活給付を行う社会保険を主体とし、これを有効に機能させるための前提条件としての完全雇用の達成、家族手当および国民保健サービスの創設などが必要となる。
福祉国家の共通的特色の第一は、国民の生存権を保障するものとして、社会保障制度が確立していること。第二に、福祉国家は、経済的には資本主義の欠陥である貧富の格差や失業その他の不安定性を修正しようとする修正資本主義のもとでの国家であり、経済に対する国家のコントロールが広範に及んでいる国家である。第三に、政治的には、市民的自由と民主主義を基礎にしていることなどであるが、実際には行政権力の肥大化、官僚化などの問題を内包し、福祉国家論は現実を隠蔽(いんぺい)するイデオロギーであるとの批判もある。
[三橋良士明]
『東京大学社会科学研究所編『福祉国家』全六巻(1984~85・東京大学出版会)』▽『モーリス・ブルース著、秋田成就訳『福祉国家への歩み』(1984・法政大学出版局)』▽『W・A・ロブソン著、辻清明・星野信也訳『福祉国家と福祉社会』(1980・東京大学出版会)』
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社会保険制度の運営,労働基準の監督,生活困窮者の救済,低所得者層の福利厚生,勤労者の雇用機会の維持などの役割を果たす国家をいう。20世紀に入ると資本主義国では,共産主義国ソ連の出現,社会民主主義政党の主張や労働組合運動の要求に対処するため,保守政党や資本家にも福祉政策の必要が認識されたが,福祉国家という理念がつくられたのは,1930年代の経済不況の時代をへた後である。西側諸国は第二次世界大戦後の経済発展とともに,福祉政策の拡充に努めた。70年代に先進国経済の高度成長期が終わると,福祉経費の増大が政府財政の重荷になり,肥大した福祉政策への中流有権者の反発が生じ,自助の精神の回復を説く保守政治家が登場し,80年代以降,福祉政策の選別,事業の民営化など福祉政策の見直しが進められる時代となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…ことにイングランド北部,南ウェールズ,中西部スコットランドのように不況産業の集中していた地方における慢性的な高率失業やハンガー・マーチ(飢餓行進)の記録は暗い印象をさらに深めることになった。
[経済停滞に悩む福祉国家]
第2次大戦(1939‐45)によるイギリス経済の損失は,第1次大戦のそれとは比較にならないほど甚大で,船舶の喪失,爆撃による工場施設・住宅などの被害額は約30億ポンドに上った。そして戦時中,約10億ポンドの海外投資分を売却し,必需物資の輸入代金を支払うために金と外貨の保有高を減らしたほか,さらに30億ポンドの新たな外債を背負うことになった。…
…この時期の国家は,立法部が政治の中心的位置を占めていたという意味で,〈立法国家〉と呼ぶことができよう。
[福祉国家]
20世紀に入るとともに加速度的な進行を遂げた工業化と都市化は,社会の大規模化と複雑化とを促進することによって,市民社会の前提である個人の予測可能性と自律性を著しく低下させた。とくに普通選挙制が確立されて,市民に代り大衆が政治過程に登場するとともに,夜警国家を支える自由主義の基本理念も後退せざるをえなかった。…
…このような生活不安に対して国民の一人一人に最低生活水準を保障し,生活の安定を図ることを目的として,国の責任で現金やサービスなどの給付を行う政策ないし制度を社会保障とよんでいる。今日,社会保障は福祉国家といわれる先進自由主義諸国において最も重要な公共政策になっているばかりでなく,体制の異なる社会主義諸国や発展途上国においても国民に対する生活保障の重要政策として広く受け入れられている。
【社会保障の歴史――二つの系譜】
社会保障は歴史的に形成され,生成発展してきた公的制度であり,国によって展開の過程がそれぞれ異なっているばかりでなく,一つの国においても時代とともにその形態や機能が変化している。…
…第2次世界大戦中のイギリスで,戦後の社会のあり方を期待して〈福祉国家〉という表現が用いられ,やがて世界的に普及した。それは,(1)大戦前の1930年代が,世界大恐慌の沈滞から脱却しきれないまま大戦に突入した,(2)第2次世界大戦が,それまでと違って全国民を戦争に巻き込む全面戦争の様相を呈した,したがって(3)国民の合意,協力を得るためにも,明るい戦後社会のイメージを呈示する必要に迫られた,などの事情を反映したものであった。…
※「福祉国家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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