メスナー(英語表記)Messner, Reinhold

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メスナー」の意味・わかりやすい解説

メスナー
Messner, Reinhold

[生]1944.9.17. ブレッサノーネ
イタリアの登山家,極地探検家。父親の影響で登山を始め,13歳の頃からアルプスのさまざまな山に登る。 1960年代には装備を軽量化し,シェルパなど外部のサポートに頼らない新しい登山方法「アルパイン・スタイル」の強力な提唱者の一人となる。 1970年ナンガパルバット (8126m) 登頂に成功。 1975年カラコルム山脈ガシャーブルムI峰 (別名ヒドゥンピーク,8068m) を登攀,初のアルパイン・スタイルによる 8000m峰無酸素登頂を成功させた。 1978年にはペーター・ハーベラーとともに世界の最高峰エベレスト無酸素登頂を史上初めて成功させ,1980年には同無酸素単独登頂を成し遂げた。その後も,1979年 K2 (8611m) ,1983年チョオユー (8201m) に登頂,翌 1984年にガシャーブルムI峰と II峰 (8035m) の世界初の縦走を果たした。 1986年には世界の 8000m峰全 14座制覇という前人未到の偉業を達成。さらに,1990年徒歩による世界初の南極横断 (南極点経由) に成功。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メスナー」の意味・わかりやすい解説

メスナー
めすなー
Reinhold Messner
(1944― )

ヒマラヤのエベレストをはじめ8000メートル級の14峰すべてを登頂した登山家。オーストリア南部チロールのフィルノース生まれ。ほとんどを単独、無酸素で登攀(とうはん)し、鉄人と称されるほど強い体力と優れた技術をもっている。1965年オルトラー主峰北壁初登攀、67年チベッタ北西壁初登攀など、アルプスやアンデスにおける活動を経て、70年ナンガ・パルバト登頂に始まり、86年のローツェ登頂で、8000メートル峰すべてに登頂した最初の登山家である。またアイガー北壁10時間、マッターホルン北壁8時間登攀など、スピードを主旨とする近代登山の実践家である。『Der 7 Grad』(横川文雄訳『極限の登攀』)など多くの著書がある。

[徳久球雄]

『横川文雄訳『エヴェレスト』(1979・山と渓谷社)』『尾崎鋻治訳『K2――7人の闘い』(1982・山と渓谷社)』『尾崎鋻治訳『死の地帯』(1983・山と渓谷社)』『岡沢祐吉訳『マナスルの嵐』(1978・二見書房)』

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「メスナー」の解説

メスナー

オーストリアのオルガニスト指揮者、作曲家。1922年ザルツブルク大聖堂のオルガニストに就任。26年より、ザルツブルク音楽祭の大聖堂コンサートの指揮者を長年務める。36年オーストリア国家賞。オペラ、宗 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

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