モロゾフ家(読み)モロゾフけ

改訂新版 世界大百科事典 「モロゾフ家」の意味・わかりやすい解説

モロゾフ家 (モロゾフけ)

(1)15~17世紀に栄えたモスクワ・ロシアの名門貴族。14世紀中葉の〈モロズ〉とあだ名されたイワンを祖とする。代々ボヤーレ(貴族)の称号をうけ,貴族会議への参加権を与えられて,モスクワ国家の行政機関や宮廷内で重職についた。一族のうちでも17世紀中葉にツァーリアレクセイ・ミハイロビチのもとで実権を掌握したボリス・モロゾフBoris Ivanovich Morozov(1590-1661)が特に有名。一族は大土地領主でもあり,ボリスの時代には5万5000人の農奴を有した。ボリスのあと17世紀末に没落した。
執筆者:(2)ロシアの工場主,富豪家系。1820年,サッバ・モロゾフSavva Vasil'evich Morozov(1770-1862)とその4人の息子たちは1万7000紙幣ルーブルで農奴身分を買い戻して,自由になった。25-40年,彼らは四つの綿紡工場を創設したが,それらは19世紀後半には大工場に成長した。85年にはそのうちの一工場でロシア資本主義の確立に対応した,著名なモロゾフ大争議が発生している。1915年には同家の諸工場は労働者5万4000人,年生産額1億ルーブル以上,資本金1億1000万ルーブル以上に達した。同家はリャブシンスキー家などの大繊維工業資本とともに独占を図った。同家で最も著名なサッバ・モロゾフSavva Timofeevich Morozov(1862-1905)はモスクワ芸術座の援助者であり,ゴーリキー親友でもあった。彼は1905年のロシア革命時には革命家共感を示し,雑誌イスクラ》に資金を出したといわれるが,病気などを理由に自殺した。この一族からは西欧近代美術の収集家I.A.モロゾフも出ている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のモロゾフ家の言及

【モスクワ】より

…その人口の大半を占めたのはロシア各地の農村から流入した大小の規模の企業で働く労働者や零細な商人たちであり,それら下層の住民の居住区をつつみこんで市域が著しく拡大すると同時に,ゴーリキーの《どん底》の舞台となるヒトロフカKhitrovkaをはじめ市内各地に貧民窟が形成された。他方,モロゾフ家,グチコフ家のように地方の農民から身をおこしモスクワで事業を営んでブルジョア化した例も多く,概して市政の実権は貴族から資本家の手に移った。19世紀を通じて文化面ではモスクワ大学出身者を中心に,すぐれた学者や思想家や作家が輩出し,演劇,音楽,美術の分野でも一種の黄金時代を現出した。…

※「モロゾフ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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