アレクセイミハイロビチ(その他表記)Aleksei Mikhailovich

改訂新版 世界大百科事典 「アレクセイミハイロビチ」の意味・わかりやすい解説

アレクセイ・ミハイロビチ
Aleksei Mikhailovich
生没年:1629-76

ロシア,ロマノフ朝第2代の皇帝。在位1645-76年。ピョートル1世の父。即位当初実権を握っていた貴族モロゾフBoris Morozovとその一党に対する都市住民の反感は,専売にされた塩の価格高騰を契機モスクワ以下の諸都市で1648年に〈塩一揆〉という暴動となって表面化した。彼はモロゾフを退陣させるとともに,士族および都市住民上層の請願にこたえて新法典編纂のために全国会議(ゼムスキー・ソボル)を召集した。49年1月にこの会議で採択されたいわゆる《会議法典Sobornoe ulozhenie》(25章967ヵ条)は,質量ともにロシア立法史上画期的なもので,皇帝の権威を明文化し,都市内の〈免税地〉を廃止するとともに,都市民を都市に緊縛した。また,債務奴隷制度について詳細に規定し,逃亡農民追及権を無期限のものとして農民土地緊縛立法を完成した。ここにロシア農奴制国家の法体系は,当面の目標を達成したのである。対外関係ではウクライナと白ロシアの奪回を企てて対ポーランド戦争(1654-67)に突入。戦費調達のための大量の銅貨発行により食糧価格が高騰し,62年にはモスクワに〈銅貨一揆〉という暴動を引き起こしたりしたが,アンドルソボ条約でようやく目的を果たした。この戦争中,教会改革をめぐって総主教ニコンとの争いを生じ,また,戦後にはラージンの乱が起こった。アレクセイは教会に対する支配権確立し,ラージンの乱を平定して,ロシア絶対主義の確立を準備した。
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百科事典マイペディア 「アレクセイミハイロビチ」の意味・わかりやすい解説

アレクセイ・ミハイロビチ

ロシア皇帝(在位1645年―1676年)。ミハイル・ロマノフの子。ピョートル1世の父。ウクライナ併合,農民の農奴化を進め,ラージンの乱を鎮圧。総主教ニコンと争ってその改革を阻止し,帝権を強化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレクセイミハイロビチ」の意味・わかりやすい解説

アレクセイ・ミハイロビチ
あれくせいみはいろびち
Алексей Михайлович/Aleksey Mihaylovich
(1629―1676)

ロシア皇帝(在位1645~1676)。ロマノフ朝初代ミハイル帝の長男として誕生(3月19日)。治世の初め、重税を課したため、モスクワ(1648)など諸都市に一揆(いっき)が頻発した。それを機会に招集されたゼムスキー・ソボール(全国会議)において作成された「会議法典」(1649)のなかで、農奴制が法的に完成した。封建的搾取の強化の結果は、大規模なステンカ・ラージンの乱となった。工業活動を奨励し、商人を保護した。正教の分裂を招いたニコンの教会改革を利用して、教権に対する帝権の優位を確立した。積極的な対外政策をとり、ポーランド、スウェーデン、トルコと戦い、ウクライナを併合した。1676年1月29日に急死した。

[伊藤幸男]


アレクセイ(1世)・ミハイロビチ
あれくせいみはいろびち

アレクセイ・ミハイロビチ

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