日本歴史地名大系 「ユウフツ場所」の解説
ユウフツ場所
ゆうふつばしよ
近世後期の場所(持場)名。一七九九年(寛政一一年)幕府が東蝦夷地を直轄地とした際、シコツ十六場所をまとめてユウフツ場所とした(→マコマイ場所 石狩支庁の→シコツ十六場所)。天保郷帳に「ユウブツ持場之内 ユウブツ・アヅマ・ムカワ・チトセガワ・ポンベツ・イサリブト」とある。ユウフツ場所は、西は「ヘツヘツ川」(現在の苫小牧市と白老町の境界をなす別々川)をもってシラヲイ場所に、東は「フイハフ」(現在の門別町富川のフイハップ海岸)でサル場所に、北は「シュママツフ」(シママップ、現在の恵庭市島松付近)でイシカリ場所に接し、南は海(太平洋)に臨んでいたが、かつてのサル場所との境はより西側の「カムイトウナイ」(現在の鵡川町字汐見付近)であった(場所境調書)。千歳川は古くはシコツ川で、その流域および周辺がシコツ十六場所とよばれた。十六場所の場所請負制は一八世紀前半に始まったと考えられ、ユウフツはシコツなどからの産物を集荷する地であった。一七八〇年代の「松前国中記」に「シコツ拾六箇所」の小見出を付け、タルマイは因藤官司、マコマイは工藤平右衛門、ホタナイは柿崎(蠣崎)四郎左衛門、アツマは厚谷伴蔵、上アツマは加藤兵八、「ヲシツコ」は厚谷新下、アツイシは工藤清右衛門、ヲサツは小平甚左衛門、マスは牧田源八郎、ロウサンは「御場所」、下ママチは木村又八郎、上ママチは松前鉄五郎、「井ジヤリ」(イサリ)は今井善兵衛、「ムイシヤリ」(モイサリ)は佐藤専右衛門、「チイカ井」(チイカイ)は岡田彦兵衛、上ムカワは麓運治、下ムカワは左藤東馬と場所名と知行主が記され、ロウサンのみが松前藩直轄領で、他の一六ヵ所は地頭所であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報