苫小牧市(読み)トマコマイシ

デジタル大辞泉 「苫小牧市」の意味・読み・例文・類語

とまこまい‐し【苫小牧市】

苫小牧

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「苫小牧市」の解説

苫小牧市
とまこまいし

面積:五六一・一〇平方キロ(境界未定)

昭和二三年(一九四八)四月一日に勇払ゆうふつ郡苫小牧町が市制施行して成立。胆振支庁の中央部東寄りに位置し、東は勇払郡厚真あつま町・早来はやきた町、西は白老しらおい白老町、北は石狩支庁千歳市に接し、南は太平洋に臨む。北方噴煙を吐く樽前たるまえ(一〇四一メートル)がそびえる山林地帯で、この山麓を源とする別々べつべつ川・樽前川・錦多峰にしたつぷ川・苫小牧川、勇払川などが太平洋に注ぐ。東側は石狩低地帯で、苫小牧港から新千歳空港へと続く。国道三六号が白老町から海岸に沿って市域に入り、苫小牧市街のさいわい町付近から内陸を進み、石狩低地帯を通って千歳市・札幌市に達する。岩見沢市に向かう国道二三四号、日高地方に向かう国道二三五号、支笏しこつ湖に向かう国道二七六号が走り、JR苫小牧駅は室蘭本線・千歳線・日高本線分岐点となっている。なお早来町・厚真町との境界は一部未定。近世後期はユウフツ場所の一部。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により胆振国勇払郡に所属。同月土佐高知藩の支配地となるが、同四年八月に開拓使の管轄下に入る(地方沿革略譜)。同五年五月に勇払郡開拓使出張所が勇払村に設置されたが、同六年に苫細とまこまい(のちの苫小牧村)に移転した。同年六月の「胆振国地誌提要」によると当初の勇払郡は三四ヵ村であったが、同年八月に一七ヵ村に統合され(「勇払往復」道立文書館蔵簿書)、当市に関係するのは苫細村・小糸魚こいとい村・錦多峰村覚生おぽつぷ村・樽前村・勇払村・植苗うえなえ村の七ヵ村であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「苫小牧市」の意味・わかりやすい解説

苫小牧〔市〕
とまこまい

北海道南西部,太平洋にのぞむ市。北西部は山地だが,大半は勇払平野に属する。 1948年市制。地名は,アイヌ語のトマクオマナイ (沼のうしろにある流れの意) に由来。天正 18 (1590) 年松前氏が蝦夷島を支配してから,江戸時代には政治,経済の中心,交通の要衝として繁栄した。明治6 (1873) 年には開拓使出張所を設置。 1910年王子製紙苫小牧工場が操業を開始してからは,「紙の町」として有名。第2次世界大戦後,北海道総合開発計画の拠点になった。 63年開港した苫小牧港は,日本最初の内陸掘込式の人工港で,石炭,新聞用紙,木材などの移出,車両,鉱物,木材などの移入が行われ,66年外国貿易港に指定された。港の周辺にはアルミ,石油精製,電力,化学,食品などの工場が集中する。さらにその東部に 76年苫小牧東港,77年苫東厚真 (とまとうあつま) 発電所が建設され,備蓄基地や自動車のエンジン工場がある。 JR室蘭本線が通り,日高本線,千歳線を分岐,国道 36号線が 234,235,276号線を分岐する交通の要衝。道央自動車道のインターチェンジもある。国道沿線は住宅地化が進んでいる。静川遺跡は史跡に指定,北西部は支笏洞爺国立公園に属する。面積 561.57km2(境界未定)。人口 17万113(2020)。

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