改訂新版 世界大百科事典 「ユリアドムナ」の意味・わかりやすい解説 ユリア・ドムナJulia Domna生没年:?-217 ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの妃。シリアのエメサで太陽神崇拝をつかさどる神官の娘として生まれ,宮廷に迎えられた。野心的で教養豊かな彼女のまわりには,学者らの取巻き連中が集まり,宮廷でも影響力が強かった。夫帝の死後,彼女の2人の息子カラカラとゲタとの兄弟対立を憂慮して調停に尽力したが,成功するに至らなかった。晩年にはニコメディアに隠棲したが,かつてゲタを殺害したカラカラ帝の訃報に接して自決したと伝えられている。執筆者:本村 凌二 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユリアドムナ」の意味・わかりやすい解説 ユリア・ドムナJulia Domna [生]?[没]217ローマ皇帝セプチミウス・セウェルスの後妻。エメサ (シリア) の神官の娘。 F.フィロストラトスらの哲学者,学者を側近に集めた。夫の死後2子のカラカラとゲタがそれぞれ皇帝として共同統治を行なったが,争いとなり,ついに前者が後者を彼女の面前で殺害。カラカラの行政を補佐し,強大な実権を握ったが,217年カラカラが暗殺されると,みずから食を断って自殺したとも,暗殺されたともいわれる。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by