デジタル大辞泉 「からから」の意味・読み・例文・類語
から‐から

1 堅い物が触れ合って立てる、響きのよい、軽い感じの音を表す語。「高下駄を
2 車などが軽快に音を立てて回るさま。「矢車が
3 高らかに笑う声を表す語。「

1 水分がすっかりなくなっているさま。「のどが
2 器物の中がからで、何もないさま。「財布は
[アクセント]


[類語]


ローマ皇帝。在位211-217年。カラカラとは,彼がローマに持ち込んで着用を流行させたケルト人の外套にちなむあだ名であり,正式にはマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌスMarcus Aurelius Severus Antoninusと呼ぶ。セプティミウス・セウェルスとユリア・ドムナの長子として生まれる。父帝の在位中,弟ゲタとともに共同統治者となるが,父帝の死後,兄弟の間がらは悪化し,母后の尽力にもかかわらず,212年,彼は弟帝とその与党2万人余りを殺害してローマ帝国の単独の支配者となった。彼の統治政策のなかでも特に有名なものに,212年の〈アントニヌス勅法〉がある。この告示は帝国内のすべての自由民にローマ市民権を付与することを認めたものである。これによって,ローマ人と属州人との区別はなんの意味も持たないものとなり,従来の都市国家的基盤の上に築かれたローマ帝国の支配構造が名実ともに失われたことになった。しかし,そのねらいはローマ市民に課される相続税の増収にあったと言われている。彼は第二のアレクサンドロス大王をめざし,ゲルマニアや東部属州地域への外征を繰り返した。そのため,国家財政は危機に陥り,品位の悪化したアントニニアヌス銀貨を発行して急場をしのいだので,この銀貨の改鋳は3世紀のインフレ政策のモデルとなった。彼は元老院階層に敵対したが,下層民には好意的であり,精力的な浪費家ぶりは恩恵に浴した兵士や民衆の人気を博した。今日ローマに残存するカラカラ浴場の偉容はそのようすをしのばせる。217年メソポタミア外征中に親衛隊長官マクリヌスによって暗殺された。
執筆者:本村 凌二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広義には鳥綱タカ目ハヤブサ科カラカラ亜科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの1種オーデュボンカラカラをさす。この亜科Daptriinaeには10種が含まれ、北アメリカ南部から南アメリカ南部にかけて分布し、全長約40~65センチメートルで比較的長い足をしている。つめや嘴(くちばし)はあまり鋭くない。色彩は種類によって変化に富んでいるが、嘴の根元から目の周りにかけては赤や黄の皮膚が裸出している。生息環境も熱帯雨林、平原、山地の崖(がけ)、海岸の岩場などと種類によって異なり、食性も雑食性のもの、鳥類をとらえるもの、腐肉を食べるものと多様である。巣は岩や木の上、サボテンの上につくり、2~3個の卵を産む。オーデュボンカラカラPolyborus cheriwayはアメリカ合衆国南部からフエゴ島にまで分布する。草原にすみ、雑食性である。アカノドカラカラDaptrius americanusはメキシコ南部からブラジル南部の森林に、キノドカラカラD. aterはアマゾン流域の林にすむ。
[高野伸二]
ローマ皇帝(在位211または198~217。211年までは父セプティミウス・セウェルスと共治)。カラカラはあだ名で、彼が213年以後用いたケルト人の衣服にちなむ。弟ゲタとの仲はつねに悪く、211年の父帝の死後いっそう悪化、2人を和解させようとする母ユリア・ドムナの努力もむなしく、212年ついに共同統治者ゲタを殺して単独皇帝となった。同年、帝国内のほとんどすべての自由民にローマ市民権を付与する「アントニヌス勅法」を発布した。その動機はローマ市民に課された相続税の収入を増加させるためで、この発布により共和政期から続いてきたローマ市民権を道具としてローマの領域を支配する方法は完全に捨てられた。ライン、ドナウ、東方に転戦して、217年4月にメソポタミアのカルラエ付近で暗殺された。今日もローマに遺跡として残る巨大な公共浴場(カラカラ浴場)をつくったことでも有名。
[市川雅俊]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
188~217(在位198~217)
ローマ皇帝。父セプティミウス・セウェルスと共同統治し,父の死後,弟ゲタを殺して単独で支配。212年には勅令を発し,帝国居住の全自由人にローマ市民権を付与,帝国の都市国家的な名残りを消滅させた。ローマに浴場を建設したが,東方に遠征し,その途中カラエで暗殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…現在は貯蔵熟成したものに水を加え,アルコール分40,35,30,25%の製品としている。泡盛の酒器に提子(ひさげ)に似た〈酎家(ちゆうかあ)〉と〈からから〉がある。前者は鹿児島県で〈ちょか〉,後者は鹿児島県で〈からから〉,熊本県球磨地方で〈がら〉と呼ばれる。…
…スコットランドの領有は無理とみてそこからすべての軍を引き上げた。彼の息子カラカラ(在位211‐217)は父の政策を受け継ぐとともに,212年帝国の全自由民にローマ市民権を与える勅法(カラカラ帝告示)を発して,従来のイタリア人と属州人との支配・被支配の関係をなくした。しかし,アラマンニ族とゴート族はドナウ国境を脅かしていた。…
※「からから」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」