ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス・パウルス2世」の意味・わかりやすい解説
ヨハネス・パウルス2世
ヨハネス・パウルスにせい
Johannes Paulus II
[没]2005.4.2. バチカン市国
第264代教皇(在位 1978~2005)。本名 Karol Józef Wojtyła。クラクフに近い南ポーランドの出身。父は退役軍人。クラクフ大学で哲学を学び,第2次世界大戦中は労働者としても働いた。1946年司祭。さらにローマ,クラクフの大学で研学,1954年ルブリンのカトリック大学倫理学教授,1963年クラクフ大司教。1962~65年の第2バチカン公会議では積極的発言者の一人として注目を集め,のちに信徒使徒職協議会顧問となる。共産主義政権下の困難のなかで,ポーランドのカトリック教会の最高指導者ステファン・ウィシンスキ枢機卿(カーディナル)とともに信徒の信望を担い,柔軟,強靭な抵抗路線を貫徹した。1967年枢機卿。ヨハネス・パウルス1世急死後のコンクラーベ(教皇選挙会)で,保守,中道両路線の対立打開の切り札として浮上,1978年10月16日第264代教皇に選出され,10月22日に就任した。非イタリア人では 1522年以来,また 1846年以来最年少の教皇で,就任後ヨーロッパ,アフリカ,南北アメリカ,アジアの各国を歴訪。日本へは 1981年2月来訪,広島で核兵器廃絶,世界平和を訴えた。
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