ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス3世」の意味・わかりやすい解説
ヨハネス3世
ヨハネスさんせい
Johannes III Ducas Vatatzes
[没]1254.11.3. ニムファエウム
ニカイア帝国皇帝 (在位 1222~54) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 3世とも呼ばれる。テオドルス1世の娘イレネの夫で,義父の死後即位。帝国領を2倍にし,ビザンチン復興の基礎を築いた。ラテン帝国と戦ってポイマネノンで勝利し (1225) ,レスボス,キオス,ロードスの諸島ならびにバルカン半島のアドリアノープルを帝国領とした。ブルガリアのアセン2世と同盟を結び,コンスタンチノープルの奪回をはかるが失敗 (35~36) 。しかしトラキア,マケドニア地方,エピルス,テッサロニカには帝国の統治権を認めさせた (42) 。東西両教会統一交渉をローマ教皇インノケンチウス4世と行なったが成功しなかった。内政的には国境防衛力の増強,プロノイア制度の復活,農業と牧畜の奨励に努め国力を増強した。てんかんの病を得て病没。死後 50年にして聖人に列せられた。
ヨハネス3世
ヨハネスさんせい
Johannes III
[没]574.7.13. ローマ
ローマ出身の第61代教皇(在位 561~574)。本名は Catelinus と考えられている。ヨハネス3世の教皇職に関する記録は,568年に始まったランゴバルド族のイタリア侵攻の時期に破棄されている。この侵略に際してナポリへ避難し,571年ビザンチン帝国の将軍ナルセスに,ローマに救援を送るよう要請した。しかしローマ市民は,ランゴバルド族の侵略を招いたとみられたナルセスを拒絶し,ヨハネス3世は騒乱に巻き込まれることを避けてナルセスが死去するまで地下墓地に身をひそめた。
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