日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライヒ・ラニツキー」の意味・わかりやすい解説
ライヒ・ラニツキー
らいひらにつきー
Marcel Reich-Ranicki
(1920―2013)
ポーランド生まれのユダヤ系ドイツの文芸批評家、エッセイスト。第二次世界大戦中、ワルシャワ・ゲットー(強制隔離地区)に収容されたが、脱出して奇跡的に生き延び、戦後はポーランド領事としてイギリスに派遣された。その後、1949年召喚されてワルシャワに戻った。しかし当時の共産党政権によって禁錮刑に処され、釈放後も疎外されたので、1958年、ドイツ滞在中に帰国を断念し、文学批評家としてドイツ文学復興に指導的役割を果たした。1960~1973年は『ツァイト』紙の常任文芸批評家、以後『フランクフルト一般新聞』の文芸欄担当主任などを経て、1988年からドイツ第二テレビの番組「文学クァルテット」を主催し、一般の人気を博して「文学法王」の異名をとるほど影響力のある文芸評論家となった。きわめて多産で、『西と東のドイツ文学』(1963)、『ドイツの文学生活』(1965)など、ドイツ文学の再出発を刻印した初期の評論から始まって、抑揚豊かな格調高い名品と評される著作によって、W・イェンス、W・ヘレラーらとともに、ドイツ文学界の批評陣を形成してきたが、ロンドンで「諜報(ちょうほう)活動」に関係したことが取りざたされて、イェンスらの友情を失い、孤独に陥った。敬愛するマンを扱った『トーマス・マンと彼の一家』(1987)、ドイツの社会状況に切り込んだ『独裁と文学の間』(1993)、『文学の代弁人』(1996)、『ハイネの事例』(1998)などのほか、自伝『私の生涯』(2000。邦訳『わがユダヤ・ドイツ・ポーランド』)は大きな反響をよんだ。さらに水彩画と文章で綴(つづ)った『ワルシャワ・ゲットーにおける生活』(2000)や『現下の日々に求められて ドイツの諸問題に関する談話』(2001)と、旺盛な活動を続いていた。
[平井 正]
『戸川敬一編訳、人見宏ほか訳『ペン 現代ドイツ作家集(小説・詩・エッセイ)』(1974・エンデルレ書店)』▽『西川賢一訳『わがユダヤ・ドイツ・ポーランド――マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝』(2002・柏書房)』