ライプツィヒの戦い(読み)らいぷつぃひのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライプツィヒの戦い」の意味・わかりやすい解説

ライプツィヒの戦い
らいぷつぃひのたたかい

1813年10月16日から19日にかけてプロイセンオーストリアロシア連合軍ナポレオン1世を破った戦い諸国民戦争ともよばれ、解放戦争帰趨(きすう)を決した。ナポレオンは、8月末ドレスデンの戦いでドイツにおける最後の勝利を収めたのち、10月14日ライプツィヒLeipzigに入り、同盟軍と対峙(たいじ)した。決戦は18日に行われたが、数的劣勢(フランス軍約13万対同盟軍30万)に加えて、ザクセンとウュルテンベルク軍の寝返りにあい、ナポレオンは敗れてフランスに撤退した。翌年の同盟軍のパリ攻撃により、ナポレオンは退位を余儀なくされた。

[岡崎勝世]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ライプツィヒの戦い」の解説

ライプツィヒの戦い(ライプツィヒのたたかい)

1813年10月に,プロイセン,オーストリア,ロシアの連合軍が,ナポレオン1世を破った戦闘。ナポレオンのロシア遠征失敗とともに,いわゆる解放戦争が起こったが,ライプツィヒの戦いはその勝敗を決し,諸国民戦争とも呼ばれ,その結果やがてナポレオンは退位するに至った。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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