イギリスの哲学者であるラッセルとアメリカの物理学者であるアインシュタインが中心になってまとめた核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えた宣言。1955年に世界的に著名な科学者11人によって宣言された。宣言に署名した科学者は、ボルン、ブリッジマン、アインシュタイン、インフェルト、フレデリック・ジョリオ・キュリー、マラー、ポーリング、パウエル、ロートブラット、ラッセル、湯川秀樹の11名である。
当時は、米ソの冷戦による核兵器開発競争が激しく、とくに水爆の開発で最終戦争の危機が叫ばれていた。また、ビキニの水爆実験で日本人漁師の被曝(ひばく)があり、放射線による汚染が現実の問題となっていた。そのような状況のなかで、宣言は「世界の諸政府に対して、世界戦争が起これば、かならず核兵器が使用されるであろうから、あらゆる紛争問題の解決に対して平和的手段をみいだすよう」に勧告している。その後、この宣言が契機になり、1957年から科学者による科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議が開催されることになった。
[山本将史 2022年7月21日]
(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…第2次大戦後は,核兵器廃絶と世界連邦達成のためにたゆみない努力を続けた。とくに死の直前にB.A.W.ラッセルとともに発した核兵器廃絶と戦争廃止のための平和声明(ラッセル=アインシュタイン宣言)は,その後の科学者の平和運動の展開に大きな影響を及ぼし,パグウォッシュ会議の発端をつくった。
[アインシュタインと20世紀の物理学]
アインシュタインが研究を始めた20世紀初頭は,X線,放射線,電子といった微視的世界における驚異的な諸発見が相次ぎ,多くの物理学者の目はそれらの実験的研究に向けられていた。…
…湯川秀樹は同年3月末《毎日新聞》に〈原子力と人類の転機〉と題する一文を寄せ,その中で〈原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は,他のどの目的よりも上位におかれるべきではなかろうか〉,また〈人類の一員としてこの問題を考える〉と書いた。これはそのまま1年後の〈ラッセル=アインシュタイン宣言〉に受けつがれた(〈パグウォッシュ会議〉)。その後もアメリカ,ソ連,イギリスは水爆実験を続け,大気圏上空に舞い上がった大量の放射性微粒子は,ジェット気流にのって,北半球全域を汚染しつつあった。…
…1955年7月に出された〈ラッセル=アインシュタイン宣言〉の呼びかけを具体化するものとして,第1回の会議がカナダ,ノバ・スコシア州のパグウォッシュで開かれた。以来,年1~2回の割合で世界各地で開かれてきているが,最初の開催地にちなんでパグウォッシュ会議と呼ばれている。…
…彼は第1次大戦の勃発とともに平和運動に身を投じて以来,1970年の死にいたるまで半世紀以上にわたり,一貫して平和と自由のために活動し,投獄されたこともたびたびである。またラッセルは1954年にA.アインシュタインとともに〈核兵器廃絶と戦争廃止のための平和声明(ラッセル=アインシュタイン宣言)〉を出し,科学者の平和運動にも大きな影響を与えた。パグウォッシュ会議
[日本の平和思想]
日本の平和思想は,その素朴な形を《古事記》《日本書紀》《万葉集》のなかに見ることができる。…
※「ラッセルアインシュタイン宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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