フランス革命期の政治家。山岳派の領袖(りょうしゅう)。当時プロイセン王国領であったスイスのヌーシャテル郡ブードリにカルバン派の両親の下に生まれる。父はイタリアのサルデーニャ出身の医師、母はフランス人。医学研究をボルドーとパリで行ったのち1767年、ロンドン、ついでニューカッスル・アポン・タインで開業し、そのかたわらニュートン批判の論文をフランスの科学アカデミーに送った。その後フランスに帰り、1777年からアルトア伯(後のシャルル10世)警固隊侍医を勤めたが、1789年の革命勃発(ぼっぱつ)を喜び、人権宣言私案を発表。また同年9月中旬から『人民の友』紙を発刊し、ジャーナリストとして発言した。ネッケル駁論(ばくろん)やラ・ファイエット攻撃に紙面を割き、民衆を革命の原動力として賞賛した。投獄されたり当局の追及を逃れたりしたが、情勢を鋭くつかみ、激情的で民衆には人気があった。コルドリエ協会員として国王のバレンヌ逃亡事件後は立憲君主制を攻撃した。民衆の直接行動を説いてチュイルリー宮襲撃のいわゆる「八月十日事件」に心理的影響を与えた。この間、地方からの連盟兵とも接触した彼は、蜂起(ほうき)コミューンの下で監視委員となった。国民公会にパリ県から選ばれ、山岳派のなかでも早くから独裁を主張し特異な存在であった。1793年4月、ジロンド派議員の決議で革命裁判所に送られたが、無罪となった。その後攻勢に転じ、6月2日の民衆蜂起の際、追放さるべきジロンド派議員を指定した。7月13日、自宅で疥癬(かいせん)治療のための入浴中、ジロンド派信奉者の女性シャルロット・コルデーに刺殺された。死後、エベールとジャック・ルーが彼の後継者を自認した。遺骸(いがい)はパンテオンに葬られたが、1794年7月に起こったテルミドールの反動ののち撤去された。
[岡本 明]
『前川貞次郎著『人民の友・マラー』(桑原武夫編『フランス革命の指導者 下』所収・1956・創元社)』
アメリカの遺伝学者。ニューヨークに生まれる。コロンビア大学に学び、モーガンに師事した。1915~1918年テキサス大学ライス研究所講師。1918年コロンビア大学講師。その後、1920年ふたたびテキサス大学に戻り、1925年教授となる。この時代がもっとも充実した時代であったが、生来の社会主義的世界観がテキサスでは受け入れられにくかったことに対する不満などから、1932年ドイツを経てソ連に行き、バビロフの要請でモスクワ遺伝学研究所員として活躍するが、ルイセンコと論争してイギリスに脱出。1937年からエジンバラ大学に勤務、1940年アメリカに戻り、アマースト大学を経て1945年インディアナ大学教授となる。1964年退職。若い時代にはモーガン学派の一員としてショウジョウバエを材料に遺伝子の交差現象を研究し、遺伝子の線状配列説の確立に寄与した。テキサス時代はX線による人工突然変異の研究を行い、遺伝学に新紀元を画した。また生物の進化を遺伝子の進化という面から追究し、分子遺伝学の今日の知識につなげた功績は大きい。1946年、X線照射による突然変異の発生を発見したことによりノーベル医学生理学賞を受けた。
[田島弥太郎]
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アメリカの遺伝学者。ニューヨーク生れ。コロンビア大学に学ぶ。T.H.モーガンに師事し,ショウジョウバエ遺伝学を研究。1918-20年同大学講師,20-36年テキサス大学で準教授,教授を歴任。ついでレニングラード,モスクワへ赴く。ここでT.D.ルイセンコと論争し,イギリスに渡り,37-40年エジンバラ大学に勤務。45-64年インディアナ大学教授。モーガン学派の一員としてショウジョウバエを材料にしてメンデリズムの確立に貢献するが,とくにX線を用いての人工突然変異誘出の研究(1927)は高く評価され,1946年ノーベル生理学・医学賞受賞。のち,人類の遺伝に関心を示し,その人工的改良方法について提言して,今日話題になっているノーベル賞受賞者の精子を用いた人工受精法などの先駆的提唱者となった。
執筆者:鈴木 善次
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1743~93
フランス革命期の革命家。元来は医者であるが,革命勃発とともに新聞『人民の友』を発刊してパリ民衆の間に影響力を持つ。国民公会議員に選出され山岳派の領袖となるが,入浴中コルデに刺殺される。
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…現在,この分野では種々の遺伝学的現象を細胞学的現象に関連・対応づけるため,核や細胞小器官(オルガネラ)自体およびそれらに含まれる染色体やDNA分子の構造・複製・伝達・化学的組成などを光学・紫外線・蛍光あるいは電子顕微鏡を用いて研究している。
[突然変異遺伝学mutation genetics]
1920年代の半ばに入り,H.J.マラー(1927)はショウジョウバエ,スタッドラーL.J.Stadler(1928)はトウモロコシにX線照射を行い,遺伝子の突然変異が人為的に誘発できることを証明した。ここに,遺伝子の変異性を実験的に研究することが可能となり,突然変異遺伝学とよぶ新しい分野が開けた。…
…今では,ド・フリースが観察したのは染色体内組換えおよびゲノム突然変異であって,真の突然変異ではなかったと考えられている。厳密な意味での遺伝子突然変異を最初に観察したのは1929年のことで,トウモロコシを使ったスタッドラーL.J.Stadlerとショウジョウバエを使ったH.J.マラーである。遺伝子突然変異はきわめて低い頻度(10-6~10-9)で起こるのが普通であるが,電離放射線や種々の化学物質によって高頻度に誘発されることがわかるとともに,これらの突然変異原は突然変異の出現機構の解明の研究に活用されるようになっただけでなく,得られた突然変異株を利用することによって,遺伝学が急速に発展することになった。…
※「マラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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