日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポーリング」の意味・わかりやすい解説
ポーリング
ぽーりんぐ
Linus Carl Pauling
(1901―1994)
アメリカの物理化学者。理論、実験両面において、とくに量子力学を化学に取り入れ、構造化学の方法を確立した業績で知られる。オレゴン州ポートランドに生まれる。オレゴン州立農業大学、カリフォルニア工科大学で学び、ミュンヘン、コペンハーゲン、チューリヒの諸大学に留学、ゾンマーフェルト、ボーア、シュレーディンガーについて量子力学を学ぶ。1931年カリフォルニア工科大学教授、以後カリフォルニア大学を経て、スタンフォード大学教授となった。1910年代の初めにラウエ、ブラッグ父子らによりみいだされ提起された結晶のX線回折が、方法として1910年代に確立され、1920年代を通じて物理化学の手段として化学のなかに普及していった。ポーリングの最初の重要な業績は、1920年代後半、イオン結晶の構造をX線回折により研究してイオン半径を決定(1927)し、複雑なイオン結晶の構造を決める半経験的な原理などを与えたことである(1929)。その後、ハギンズと共同して共有結合半径を決定した(1934)。1930年代には、マルクらにより始められた気体電子線回折の方法を、ブロックウェイLawrence O. Brockway(1907―1979)と共同で発展させ、分子構造決定法として確立した。
ポーリングの業績の最大のものは、以上の実験的研究と並行しつつ行った理論的研究による化学結合論の体系的構成である。1927年ハイトラー‐ロンドンの理論で水素分子の共有結合の本質が量子力学的に解明されると、ポーリングは、ただちに翌1928年、その電子の交換力の概念を力学的モデルとの対比から「電子の共鳴」とよび、いわゆる量子力学的共鳴概念で化学結合を説明する試みを開始した。同時期、炭素原子価の正四面体方向性に関する混成軌道の概念を提起(1931)、1933年にはベンゼンなどの芳香族化合物の特性を共鳴概念で説明するのに成功、これらの成果が、なお今日に残る名著『化学結合論』(1939)にまとめられた。量子力学を大胆に化学に導入し、今日の化学結合論、構造化学に仕上げた彼の功績は大きい。
1940年代に入ってからの研究は、免疫抗原と抗体の反応に関する研究(1940)から、1951年にはタンパク質分子の螺旋(らせん)構造の提起と、生物物理化学の領域に広がった。1954年、構造化学への貢献でノーベル化学賞を受賞。
彼は、戦後、原爆禁止、核実験反対署名運動などで平和運動に積極的に取り組み、1962年ノーベル平和賞を受賞した。
[荒川 泓]
『ポーリング著、丹羽小弥太訳『ノーモアウォー』(1959・講談社)』▽『小泉正夫訳『化学結合論』改訂版(1962・共立出版)』▽『ポーリング、ウィルソン著、桂井富之助他訳『量子力学序論』(1965・白水社)』