アメリカの物理化学者。理論、実験両面において、とくに量子力学を化学に取り入れ、構造化学の方法を確立した業績で知られる。オレゴン州ポートランドに生まれる。オレゴン州立農業大学、カリフォルニア工科大学で学び、ミュンヘン、コペンハーゲン、チューリヒの諸大学に留学、ゾンマーフェルト、ボーア、シュレーディンガーについて量子力学を学ぶ。1931年カリフォルニア工科大学教授、以後カリフォルニア大学を経て、スタンフォード大学教授となった。1910年代の初めにラウエ、ブラッグ父子らによりみいだされ提起された結晶のX線回折が、方法として1910年代に確立され、1920年代を通じて物理化学の手段として化学のなかに普及していった。ポーリングの最初の重要な業績は、1920年代後半、イオン結晶の構造をX線回折により研究してイオン半径を決定(1927)し、複雑なイオン結晶の構造を決める半経験的な原理などを与えたことである(1929)。その後、ハギンズと共同して共有結合半径を決定した(1934)。1930年代には、マルクらにより始められた気体電子線回折の方法を、ブロックウェイLawrence O. Brockway(1907―1979)と共同で発展させ、分子構造決定法として確立した。
ポーリングの業績の最大のものは、以上の実験的研究と並行しつつ行った理論的研究による化学結合論の体系的構成である。1927年ハイトラー‐ロンドンの理論で水素分子の共有結合の本質が量子力学的に解明されると、ポーリングは、ただちに翌1928年、その電子の交換力の概念を力学的モデルとの対比から「電子の共鳴」とよび、いわゆる量子力学的共鳴概念で化学結合を説明する試みを開始した。同時期、炭素原子価の正四面体方向性に関する混成軌道の概念を提起(1931)、1933年にはベンゼンなどの芳香族化合物の特性を共鳴概念で説明するのに成功、これらの成果が、なお今日に残る名著『化学結合論』(1939)にまとめられた。量子力学を大胆に化学に導入し、今日の化学結合論、構造化学に仕上げた彼の功績は大きい。
1940年代に入ってからの研究は、免疫抗原と抗体の反応に関する研究(1940)から、1951年にはタンパク質分子の螺旋(らせん)構造の提起と、生物物理化学の領域に広がった。1954年、構造化学への貢献でノーベル化学賞を受賞。
彼は、戦後、原爆禁止、核実験反対署名運動などで平和運動に積極的に取り組み、1962年ノーベル平和賞を受賞した。
[荒川 泓]
『ポーリング著、丹羽小弥太訳『ノーモアウォー』(1959・講談社)』▽『小泉正夫訳『化学結合論』改訂版(1962・共立出版)』▽『ポーリング、ウィルソン著、桂井富之助他訳『量子力学序論』(1965・白水社)』
アメリカの物理化学者.1922年オレゴン農科大学(現州立大学)を卒業後,1925年カリフォルニア工科大学で学位を取得.ヨーロッパ留学後,1927年カリフォルニア工科大学助教授,1931年に教授(~1964年)となり.1963年民主協会研究センター研究教授(1963~1967年)を経て,1967年カリフォルニア大学,1969年スタンフォード大学で教授(~1975年)となる.構造化学,化学結合論など多くの開拓的研究を行った.結晶のイオン半径を見積もり(1927年),複雑なイオン結晶の構造を決定する原理を提唱(1929年)し,共有結合半径を決定した(1934年).共鳴理論を核にして量子化学(原子価結合法)の建設を進めるなかで,混成軌道(1931年),化学結合のイオン性(1932年),電気陰性度(1932年)などの諸概念を提唱した.1930年代ごろから生化学・医学に関心を広げ,抗原抗体反応の鋳型説の提唱(1940年),鎌型赤血球貧血症におけるヘモグロビン分子の異常の発見(1949年),ペプチド鎖のα-らせん構造の提唱(1951年)などの業績をあげた.1967年に分子矯正医学を提唱し,1970年ごろからビタミンC大量摂取療法を主張し,1973年に分子矯正医学研究所(現オレゴン州立大学ライナス・ポーリング研究所)を創設.主著はThe Nature of the Chemical Bond, and the Structure of Molecules and Crystals(第3版,1960年).化学結合の本性の研究とそれにもとづく複雑な化合物の構造の解明で,1954年ノーベル化学賞を受賞.核実験反対など平和運動にも尽力し,1962年のノーベル平和賞も受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
アメリカの物理化学者。オレゴン州ポートランドの生れ。1922年オレゴン農業大学卒業後,カリフォルニア工科大学に学び,25年X線結晶構造解析の研究で学位を取得。さらに26年より約1年間,グッゲンハイム奨学金によりヨーロッパで量子力学を学んだ。帰国後,カリフォルニア工科大学の教壇に立ち,31年同大学教授となる。以後64年まで同大学で研究,教育に従事した。のち,ライナス・ポーリング科学医学研究所長。彼の初期の研究は構造化学関係が中心で,結晶中のイオン半径の決定(1927)や共有結合半径の決定(1934),また混成概念(1928-31)や共鳴概念(1931-32)の導入といった現代化学結合論の基礎をなす研究を行った。1930年代後半には生体分子に興味をもつようになり,生化学的研究が主体になる。ヘモグロビンの磁性研究,変性タンパク質の構造研究,免疫抗体の構造と反応に関する研究などを経て,40年代末よりタンパク質のらせん構造の研究を行ったが,DNAの二重らせんについてはJ.D.ワトソン,F.H.C.クリックに後れをとった。彼の研究領域は多岐にわたっているが,物質の構造と性質の関係を明らかにしていくという点で一貫しており,現代化学の構築に際して行った貢献は計りしれない。彼の最近の研究は医学関係,とくにビタミンの大量投与の医療効果の問題に集中している。またポーリングは平和運動家としても著名である。核実験の死の灰が人体に与える影響を憂慮した彼は,数多くのアメリカ人科学者の署名を集め,核実験反対のアピールを行った(1958)。54年化学結合の本性に関する研究でノーベル化学賞を,また63年には平和を訴えた種々の活動でノーベル平和賞を受賞した。主著には,《化学結合論》(1939),《一般化学》(1947),《ノー・モア・ウォー》(1958)などがある。
執筆者:阿部 裕子
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…V.M.ゴルトシュミットは1927年に,さきにフッ化物および酸化物の光学的性質から求められたF-=1.33Å,O2-=1.32Åを用いて,大半のイオン半径を計算し,現在でもしばしば用いられる。一方,L.ポーリングは,量子力学に基礎を置いてイオン半径を計算し,ゴルトシュミットの値とよく一致した結果を得た。その代表的なイオン半径の値は表のようになる。…
…グリシン,アラニン,セリンおよびチロシンが主要構成アミノ酸で,この4種だけで全アミノ酸の90%近くを占めるものが多い。またグリシン‐アラニンの配列の繰返しの多い部分は結晶部と呼ばれ,みごとなX線回折像を与え,L.C.ポーリングが1955年にポリペプチドのβ‐構造のモデルを提出した際の基礎的なデータとなった。分子量約37万の巨大分子で,大小二つのサブユニット(35万と2万5000)から成ると考えられている。…
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