ボルン(読み)ぼるん(英語表記)Stephan Born

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルン」の意味・わかりやすい解説

ボルン(Max Born)
ぼるん
Max Born
(1882―1970)

理論物理学者。ドイツブレスラウに生まれる。フランクフルト大学教授を経て、1921年ゲッティンゲン大学教授となった。1933年ナチスに追放されてイギリスに渡り、1939年に帰化した。1936年から1953年までエジンバラ大学教授、のち引退して旧西ドイツに住んだ。

 フランクフルト時代には、相対性理論の展開のほか、とくに結晶格子の力学を体系的に研究した。ゲッティンゲンに移ってからは、結晶格子の研究のほか、前期量子論から量子力学に移行するための多くの研究を行った。ハイゼンベルク量子論における物理量の扱い方について一つのアイデアを出すと、ボルンは、それが数学における行列であることを見抜き、ハイゼンベルクおよびヨルダンとともに行列力学を建設した。これは、同じころシュレーディンガーが始めた波動力学と同等であることが証明され、どちらも量子力学の別の表現の仕方であることがわかった。

 量子力学の建設に大きな寄与をしたが、とくに有名なのは波動関数の正しい解釈を提唱したことである。これは波動関数の確率解釈とよばれ、波動関数の絶対値の2乗が、物理量の該当する値が観測される確率を与える、とするものである。すなわち、波動関数自体は、普通の空間のなかの水面の波動や音波・電磁波のような物理的に実在する波動を直接的に表すものではなく、対象系についてのすべての知識を含んだ確率振幅とよぶべき性質のものである。このボルンの解釈により、量子力学を現象に適用するときの仕方が明確になり、古典物理学における統計現象とは違う量子力学の統計的性格が明らかになった。

 イギリスに移ってからは、インフェルトと共同で非線型電気力学を提唱した。この理論では、電磁場の源である粒子は場の特異点と解釈される。また、素粒子の基本的性質を規定するものとして相反性原理を提唱した。また、光学、流体力学など多方面にわたって重要な研究をし、高度な内容の教科書を多く著した。「量子力学の基礎研究、とくに波動関数の統計的解釈」により、1954年ノーベル物理学賞を受けた。

[町田 茂]


ボルン(Stephan Born)
ぼるん
Stephan Born
(1824―1898)

ドイツの労働運動指導者。植字工をしていたが、1847年にマルクスらの共産主義者同盟に参加、翌1848年三月革命が起こると、ベルリンでドイツ最初の大規模な労働者組織「労働者友愛会」を結成し、生産協同組合による労資対立の克服を唱え、エンゲルスらから批判された。1849年のドレスデン蜂起(ほうき)に参加したのち、スイスに亡命。バーゼル大学で文学を講義した。『回想録』は三月革命に関する重要な史料。

[末川 清]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルン」の意味・わかりやすい解説

ボルン
Born, Max

[生]1882.12.11. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1970.1.5. ゲッティンゲン
ドイツの理論物理学者。ゲッティンゲン大学を卒業。フランクフルト大学教授 (1919) ,ゲッティンゲン大学教授 (21) 。 1933年ナチスに追われてイギリスに渡り,エディンバラ大学教授 (36) 。 53年ドイツへ帰った。初め相対論,熱力学,固体物性の研究に取組む。 26年彼の弟子であった W.ハイゼンベルクの新しい着想に刺激されて,彼および P.ヨルダンとともに量子力学の研究に熱中し,その最初の定式化である行列力学の建設者の1人となる。同じ頃 E.シュレーディンガーがまったく異なった立場から波動力学と呼ばれる量子力学の定式化を進めていた。ボルンはシュレーディンガーの定式化に統計的解釈を与え,この解釈はのちに量子力学にとって標準的なものとなった。このほか,粒子の散乱問題 (ボルン近似 ) ,原子間力の研究,結晶学,液体の運動学的理論など多彩な研究を展開した。 54年 W.ボーテとともにノーベル物理学賞を受賞した。晩年には戦争に科学を使用することに反対し,原子力と科学者の責任などについて論じた。

ボルン
Born, Stephan

[生]1824.12.28. リッサ
[没]1898.5.4. バーゼル
ドイツの労働運動家。ユダヤ商人の子で,本名ジモン・ブッターミルヒ。 1840年以来ベルリンで植字工として働き,労働運動に向う。 47年パリでエンゲルスを知り,共産主義者同盟に加入,南フランスやスイスで扇動活動を行なった。ドイツに三月革命が起るとベルリンに派遣され,労働者の全国組織結成のために尽力。 M.バクーニンとともに 49年のドレスデン蜂起を指導,その鎮圧後はスイスに亡命して,『バーゼル通信』 Baseler Nachrichtenを刊行するかたわら,バーゼル大学でドイツ・フランス文学を講じた。

ボルン
Born, Bertrand de

[生]1140頃
[没]1215頃.ダロン
フランスの吟遊詩人,いわゆるトルバドゥールの一人。風刺詩にすぐれていた。フランス南部オートフォールの領主で,イングランド王リチャード1世に加担してフランス王フィリップ2世と戦うなど,勇猛な武人としての一生をおくった。その息子も同名で,また詩人である。

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