ラフマン(その他表記)Ziaur Rahman

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラフマン」の解説

ラフマン(ムジブル)
Mujibur Rahman

1920~75

バングラデシュ建国の父。1949年のアワミ・ムスリム連盟(55年にアワミ連盟改称)の結成時に副書記長となる。66年にはパキスタン軍事政権に6項目要求を提出し,ベンガル民族の大幅な自治権拡大を要求。70年の選挙では東パキスタンでアワミ連盟が完勝し,政権の可能性が高まるや,逮捕,投獄される。71年の独立後に釈放され,72年に首相就任。社会主義政策の失敗,洪水などで74年には国民信頼を失い,75年に大統領となるがクーデタで殺害された。


ラフマン(ジアウル)
Ziaur Rahman

1935~81

バングラデシュ軍人政治家。1975年のムジブル・ラフマン大統領の暗殺,軍事クーデタの混乱を陸軍参謀長として収拾。77年に選挙を実施し戒厳令解除を行い,大統領に就任(在任1977~81)。78年にはバングラデシュ民族主義者党をつくり政党政治安定を図り,経済復興に尽力した。81年軍の一部反乱によって殺害された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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