ランジートシング(英語表記)Ranjīt Singh

改訂新版 世界大百科事典 「ランジートシング」の意味・わかりやすい解説

ランジート・シング
Ranjīt Singh
生没年:1780-1839

インド北西部パンジャーブ地方に勢力を張ったシク王国の創建者。12歳で父の跡を継ぎ,シク教徒の一つの小さな領国(ミスル)の長となる。アフガンの領主ザマーン・シャーのたび重なる侵入で荒廃したパンジャーブを救うために立ち上がり,1799年にラホール,1802年にアムリッツァルを占領しつつ,次第に多くのシク領国を統合してついにパンジャーブ一帯に一大シク王国を建設する。09年にはイギリスとの間に不可侵条約を結ぶなどイギリスとの対立を回避する政策をとりながら,ヨーロッパの軍事技術も採用して強力な近代的シク軍隊の編成につとめる。しかしイギリスと衝突しないところでは領土の拡大を進め,彼の死ぬ時点ではその版図はペシャーワルからサトレジ,カシミールからシンド地方にまで及んだ。シク教徒内に強力な政治的統一を与えた功績は大きく,この王国はインド内の勢力としては最後(1848)までイギリスに対抗した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランジートシング」の意味・わかりやすい解説

ランジート・シング
Ranjīt Singh

[生]1780.11.2. グジャランワラ
[没]1839.6.27. ラホール
インド,シク王国の王。インド北西部,パンジャブ地方に割拠していたシク教徒の勢力を結集し,19世紀初めにシク王国をつくり上げた。 1818年第3次マラータ戦争後,イギリスに服属しない唯一の強力な王国として独立を保持した。 39年彼が死んだのちシク諸勢力は分裂を始め,40年代2度にわたるイギリス軍との戦い (→シク戦争 ) に最終的に敗北して,シク王国は滅亡し,インドには独立の政治権力は完全になくなった。

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367日誕生日大事典 「ランジートシング」の解説

ランジート・シング

生年月日:1780年11月2日
インド,シク教徒王国の王
1839年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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