日本大百科全書(ニッポニカ) 「リュッツェンの戦い」の意味・わかりやすい解説 リュッツェンの戦いりゅっつぇんのたたかい 三十年戦争中の戦い。リュッツェンLützenはドイツのライプツィヒ南西の地名。1629年以来新教徒の擁護を口実にドイツに侵入していたスウェーデン王グスタフ・アドルフは、ザクセン・ワイマール公ベルンハルトとともに、32年11月16日、神聖ローマ皇帝軍総司令官ワレンシュタインとこの地で会戦した。戦闘はスウェーデン側の勝利となったが、グスタフはこの戦いで戦死した。[中村賢二郎][参照項目] | 三十年戦争 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リュッツェンの戦い」の意味・わかりやすい解説 リュッツェンの戦いリュッツェンのたたかいBattle of Lützen ドイツ,ライプチヒ近郊のリュッツェンで戦われた三十年戦争の戦いの一つ。 1630年7月ドイツに侵入したスウェーデン王グスタフ2世 (グスタフ・アドルフ) は連戦連勝,破竹の勢いで進撃し,ミュンヘンに迫った。これに対し皇帝軍は A.ワレンシュタインに率いられて立向い,32年 11月 16日両軍はリュッツェンで衝突した。実力伯仲の両軍は互いに譲らず混戦となり,グスタフ2世は戦死した。しかしスウェーデン軍は陣形を立直し,皇帝軍は混乱のうちに敗走した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
山川 世界史小辞典 改訂新版 「リュッツェンの戦い」の解説 リュッツェンの戦い(リュッツェンのたたかい)Lützen 三十年戦争中の1632年11月16日,スウェーデン軍とヴァレンシュタインの軍との間に行われた会戦。前者は勝利したが,総帥グスタフ・アドルフを失った。リュッツェンはライプツィヒ西南の小都市。 出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「リュッツェンの戦い」の解説 リュッツェンの戦いリュッツェンのたたかいLützen 三十年戦争中,1632年11月16日に行われた戦争国王グスタフ=アドルフ率いるスウェーデン軍はヴァレンシュタイン指揮下のドイツ皇帝軍を破ったが,国王自身この戦闘で戦死した。リュッツェンはライプチヒの南西方にある。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by