現代外国人名録2016 「ルートフリット」の解説
ルート フリット
Ruud Gullit
- 職業・肩書
- サッカー指導者
- 国籍
- オランダ
- 生年月日
- 1962年9月1日
- 出生地
- アムステルダム
- 受賞
- バロンドール〔1987年〕
- 経歴
- 父はサッカー選手でスリナムからの移民、母はオランダ人。8歳の時からクラブでサッカーを始め、16歳でオランダリーグにデビュー。フェイエノールト、PSVアイントホーフェンで優勝を経験。1987年イタリアのACミランに移籍し、9年ぶりの優勝に貢献、同年欧州最優秀選手(バロンドール)に選ばれる。’89年3月右足故障で1年間休場したが、’90年4月復帰。’93年イタリアのサンプドリアに移るが、’94年古巣のACミランに復帰、同年11月再びサンプドリアへ。’95年イングランドのチェルシーに移り、’96年より監督兼選手。’98年2月退団。一方、19歳の時にオランダ代表入り。’88年欧州選手権ではオランダに初優勝をもたらす。’90年W杯イタリア大会代表。ポジションはFWからリベロまでどこでもこなした。’98年8月から1年間イングランド・ニューキャッスルの監督を務めた後、2004年7月〜2005年5月オランダのフェイエノールトを指揮。2007年米国のロサンゼルス・ギャラクシー監督を経て、ロシアのテレク監督に就任するが、2011年6月成績不振により解任。2010年ベルギーとオランダの共催で立候補しているW杯招致委員会の会長を務める。2011年1月ロシアのテレク監督に就任。アパルトヘイト反対主義者で、1987年度に獲得した欧州最優秀選手の栄誉をブラック・アフリカのリーダー、ネルソン・マンデラに捧げた。また、自ら率いるロック・グループのレコードがトップテン入りしたり、反アパルトヘイト発言を繰り返すなど強い個性で知られる。ドレッドロックスと称する髪型でも若者に人気があった。’90年には日本航空のCMにも出演した。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報