マンデラ(読み)まんでら(英語表記)Nelson Rolihlahla Mandela

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンデラ」の意味・わかりやすい解説

マンデラ
まんでら
Nelson Rolihlahla Mandela
(1918―2013)

南アフリカ共和国黒人解放運動指導者、政治家。トランスケイのテンブ人の首長の子として生まれる。ウィトワーテルスランド大学法学部を卒業。ヨハネスバーグで弁護士開業(1952~1956)。在学中アフリカ民族会議ANC)に入党、その青年同盟を創設。反アパルトヘイト運動に取組む。1952年ANCトランスバール支部長。同年の抗議キャンペーンにより逮捕、さらに1955年の自由憲章採択で国家反逆罪として5年間(1956~1961)投獄、1962年再逮捕。1964年終身刑となりロッベン島やポールスムア刑務所に収容され、1990年2月釈放。釈放後、ANC副議長に就任、当時の大統領デクラークとの予備会談にANC代表として出席。1991年ANC議長に就任し、以後デクラークと協力して全人種代表が参加した二度の民主南アフリカ会議、さらに多党交渉フォーラムを開き、暫定政府、暫定憲法を作成。それに基づき1994年4月に南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、ANCが勝ち、マンデラは大統領に就任。国民党、インカタ自由党と国民統合政府を樹立した。新政府は民族和解・協調政策を進め、黒人・白人の経済格差是正の復興開発計画(RDP)を実施した。1997年12月のANC党大会でマンデラは、議長の座を副大統領のT・ムベキに譲り、1999年の総選挙を機に政界から引退した。2004年公的活動からも引退を表明。1993年デクラークとともにノーベル平和賞受賞。

[林 晃史]

『東江一紀訳『自由への道――ネルソン・マンデラ自伝』上下(1996・日本放送出版協会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンデラ」の意味・わかりやすい解説

マンデラ
Mandela, Nelson

[生]1918.7.18. 南アフリカ連邦,ウムタータ
[没]2013.12.5. 南アフリカ共和国,ヨハネスブルク
南アフリカ共和国の政治家,法律家,黒人解放運動指導者。大統領(在任 1994~99)。フルネーム Nelson Rolihlahla Mandela。テンブ族の首長の家に生まれ,1942年ウィットウォーターズランド大学で法律の学位を取得。1944年アフリカ民族会議 ANCに参加,反アパルトヘイト運動に従事する(→アパルトヘイト)。1952年オリバー・タンボとともに弁護士事務所を設立した。1956年国家反逆罪に問われたが 1961年無罪判決を言い渡された。1962年再逮捕され,懲役 5年の刑で投獄された。1963年に始まったリボニア裁判で数人の活動家とともに破壊行為,国家反逆罪,暴力的陰謀罪に問われ,翌 1964年終身刑を宣告され,1964~82年ロブン島収監。1990年2月 F.W.デクラーク大統領率いる政権により 28年ぶりに釈放され,1991年 ANC議長に選出された。アパルトヘイトを撤廃したデクラーク政権と和平協定を結び,1993年デクラークとともにノーベル平和賞を受賞した。1994年南アフリカ史上初めて全人種が参加する制憲議会選挙で ANCが勝利を収め,南アフリカ初の黒人大統領となった。1999年任期満了に伴い政界を引退。同 1999年ネルソン・マンデラ基金を設立し,政界引退後も平和,和解,社会正義の擁護者として国際社会にその存在感を示した。著書に著作・演説集『ネルソン・マンデラ/闘いはわが人生』The Struggle Is My Life(1978,1990改訂),自叙伝『自由への長い道』Long Walk to Freedom(1994)がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android