レイキャビーク(読み)れいきゃびーく(その他表記)Reykjavík

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レイキャビーク」の意味・わかりやすい解説

レイキャビーク
れいきゃびーく
Reykjavík

アイスランド共和国の首都。アイスランド島南西部にあり、ファクサ湾に臨む。北緯64度余に位置する世界最北の首都で、同国最大の商港、漁港をもつ。人口11万4074(2005)は全国の約40%にあたり、南に連なる衛星住宅都市コウパボーグルを含めると約50%に達する。一年中、低気圧が近海にあり、天気が変わりやすい。平均気温は1月零下0.6℃、7月10.7℃で、一年中暖房を要する。年降水量は824ミリメートルであるが、積雪は平均6センチメートルと少ない。火山国であるため、1943年以来、温泉を利用した給湯事業が行われ、温水は四つの市民プールに行き渡るほか、ほぼ全戸に給湯されて、暖房用石油を年10万キロリットル節約するうえ、大気清澄に保つ。印刷所、書店などが多く、水産加工、造船の工業があり、近郊には豊富な水力電気を利用した肥料工場やアルミ精錬工場もある。議事堂福音(ふくいん)ルーテル派の壮大なハトルグリームス教会があるほか、アイスランド総合大学、国立図書館、博物美術館、劇場、映画館、1848年創業の新聞社などがある文化都市である。また、アウルバイル野外博物館やエトリザ川のサケ釣りは観光の対象となっている。国内の各地とは旅客機とバスで結ばれる。

 市の歴史は874年、同島への最初の植民者インゴルフル・アルトナソンがここに上陸したことに始まる。その子孫は18世紀までここに住んだが町はつくらなかった。それはアイスランド人は町をつくると悪い影響が出ると信じ、離れて住む習慣があったからであるが、スクーリ・マグヌツソンは町づくりを図り、デンマークの支援を得て、1750年ごろには12戸250人の町ができた。1786年に市制を許され、1803年特別司法区となった。1900年には人口6700人に達し、1904年に自治政府の首都となった。

浅井辰郎]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レイキャビーク」の意味・わかりやすい解説

レイキャビーク
Reykjavík

アイスランドの首都で最大の港。国の南西部に突き出たレイキャネース半島の基部の北岸にあり,ファクサ湾に面する。1月の平均気温-0.5℃,7月は 10.8℃で,夏でも暖房が必要である。
伝承によると,「煙の湾」を意味するレイキャビークは 875年頃に西ノルウェーの首長インゴールブル・アルトナルソンが建設,アイスランド最初の定住地となった。20世紀以前はデンマーク人の住む小さな漁村であったが,1786年8月18日に市制がしかれ,デンマーク統治下の島の行政中心地となった。1845年に国民議会アルシング Althing(あるいはアルシンギ Althingi)の再開催地となり,1918年にはデンマーク国王を仰ぐ自治共和国の首都となった。1944年独立したアイスランド共和国の首都となった。
アイスランドの政治,経済,文化の中心地で,主要な漁港があり,魚や食材の加工品,機械,金属製品が製造されるなど,国内産業の半分近くが集中している。近代的かつ清潔な外観が印象的な街の建物は,大半がコンクリート製で,付近の温泉から引いた温水で暖められている。屋外の公共の温水プールも地熱を利用している。国会議事堂(1881)やハットルグリームス教会(1986)など注目すべき建築のほか,文化施設・機関としてアイスランド国立大学図書館(1994。国立図書館〈1818〉と大学図書館〈1940〉が合併),アイスランド大学(1911年創立),アイスランド交響楽団,アイスランド国立美術館などがある。アウトゥニ・マグヌスソン研究所はアイスランド大学の付属で,17~18世紀の古文書学者マグヌスソンが収集した写本(長らくコペンハーゲン大学に保管されていた)が保管されている。市内 3ヵ所にあるレイキャビーク美術館,シグルヨウン・オウラフソン美術館をはじめ,市内には数多くのミュージアムやギャラリーがある。大統領官邸のベッサスタージルは郊外にある。またケプラビーク国際空港は西南西 32kmの場所にある。人口 12万7333(2019推計)。

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改訂新版 世界大百科事典 「レイキャビーク」の意味・わかりやすい解説

レイキャビーク
Reykjavík

アイスランドの首都。同国南西部にあり,人口11万4365(2005)で同国人口の4割近くを占める。政治,経済,文化,交通,漁業の中心地で,国会議事堂,総合大学,図書館,文書館,博物館・美術館,劇場,放送局,気象台,病院(以上国立)や新教・旧教の教会,国内線空港,多くの魚加工工場,造船所などがある。南西36kmにはケブラビークKeflavík国際空港がある。書店や印刷所が著しく多く,またほぼ全市に80℃の温泉が給湯されて暖房用煙突がない。高緯度の割にメキシコ湾流の分枝に洗われて温暖であり,死亡率は世界で最も低い。9世紀末のノルウェー移民が定住した小村で,18世紀半ばの人口は250にすぎなかった。首都建設運動の結果,1786年に市を許されて,以後急速に人口が増えた。1811年図書館がつくられ,43年には国会がここに移り,48年には新聞が発刊された。20世紀に入るとすぐに大学が創立され(1911),水道,ガス,電灯,港湾施設ができ,30年代には給湯が始まった。51年には国立劇場が完成した。
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