日本大百科全書(ニッポニカ) 「アモン・デュール」の意味・わかりやすい解説
アモン・デュール
あもんでゅーる
Amon Düül
ドイツのロック・グループ。1960年代末期から1970年代前半にかけてのジャーマン・ロック、とくにプログレッシブ・ロックは、音作りやバンド形態の点でユニークなグループが少なくなかったが、アモン・デュールもまた、ヘビーなサイケデリック・サウンドやグループのコミューン的性格という点で特徴のあるバンドだった。
バンドの結成は、1960年代後半に世界を覆ったヒッピー・カルチャーの影響下で、政治意識、芸術志向の高い若者たちが、1967年にミュンヘンでコミューン的共同生活を開始したことに始まる。男女総勢15人近くのその集団のなかで、クリス・カーラーChris Karrer(バイオリン、ギター、サックス)、ペーター・レオポルトPeter Leopold(パーカッション)、ウルリヒ・レオポルトUlrich Leopold(ベース)、ライナー・バウアーRainer Bauer(ボーカル、ギター)、ファルク・ウルリヒ・ログナーFalk-Ulrich Rogner(キーボード)が中心となり、アモン・デュールの名のもとに、アコースティック楽器と電気楽器による集団即興的音楽を始めた。しかし1968年には、バンドの命名者であるカーラーが脱退し、アモン・デュールⅡを結成。以後しばらくは、二つのバンドが並存しながら活動を続けた。1968年、ドイツのレーベル、メトロノームと契約したアモン・デュールは長時間のレコーディング・セッションを行い、その音源にコラージュ等の手を加えたデビュー・アルバム『サイケデリック・アンダーグラウンド』を1969年に発表。多数のパーカッションの乱打と絶叫を軸にした混沌としたサウンドは、ロックとフリー・ジャズや現代音楽が相互に影響していたこの時代のジャーマン・ロックの一つの典型を示すものであった。一方、カーラー率いるアモン・デュールⅡも、アモン・デュールを抜けたペーター・レオポルトやログナーに、女性シンガーのレナーテ・クナウプRenate Knaupやギタリストのヨハンネス・ワインツィエールJohannes Weinzierl、イギリス人ベーシストのデーブ・アンダーソンDave Andersonなどを加えたラインナップで、1969年にデビュー・アルバム『神の鞭』をリバティーから発表。これもまた『サイケデリック・アンダーグラウンド』に劣らず十分にサイケデリックなサウンドだが、こちらはオリエンタルなムードが随所に漂い、楽曲としても『サイケデリック・アンダーグラウンド』に比べると整理され、音楽的にはよりプロフェッショナルな作品だった。その後アモン・デュールは、1968年のセッションの音源から編集されたセカンド・アルバム『崩壊』(1969)、さらに新たに録音されたサード・アルバム『楽園へ向かうデュール』(1970)を発表した後に自然消滅したが、1972年には2枚組の未発表音源集として『ディザスター』が、さらに1983年には同じく未発表音源集『エクスペリメンテ』がリリースされた。
一方のアモン・デュールⅡは、メンバーを少しずつ入れ替えながらもカーラーを中心に活発に活動を続け、『地獄!』(1970)、『ロック共同体(野ネズミの踊り)』(1971)、『バビロンの祭り』『狼の町』(ともに1972)といった1970年代ジャーマン・ロックを代表するサイケデリックな作品を連発したが、1974年の『ハイジャック』あたりから音作りがポップでシンプルな方向、あるいはアメリカナイズされた方向へと向かい、オリジナリティーは後退し、1981年の『ボルテックス』を最後に解散する。しかし、初期の作品に参加し、その後イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、ホークウィンドのメンバーとしても活躍したアンダーソンが、ふたたびワインツィエールを誘い、1982年にアモン・デュールⅡ名義で『ホーク・ミーツ・ペンギン』を発表。その後数年にわたってアモン・デュールⅡまたはアモン・デュール名義で活動した。彼らは通称アモン・デュールUKとよばれている。
1990年代に入り、カーラーを中心にクナウプ、ペーター・レオポルトら初期メンバーによりアモン・デュールⅡが復活。初期作品のリミックス・バージョン集に新録音の2曲を加えた1993年の『サラウンデッド・バイ・バース』に続き、1995年には完全な新作『ナダに輝く月』を発表。さらに同年(平成7)来日公演も行い、1996年には『ライブ・イン・東京』もリリースされた。
またカーラーは、1980年代後半から1990年代前半には、エスニック指向の強いジャーマン・プログレッシブ・ロック・バンド、エンブリヨに参加したほか、ソロ・アルバムも『ダービッシュ・キッス』(1994)や『サフィスティケーテッド』(1996)など数枚を発表。クナウプも1970年代後半から1980年代初頭にかけては、インド音楽などを取り入れたドイツのロック・バンド、ポポル・ブーのメンバーとして数枚のアルバムに参加している。
[松山晋也]
『「特集 アモン・デュールⅡ」(『Arch Angel』Vol. 4・1996・ディスクユニオン)』