ロストフスーズダリ公国(読み)ロストフ・スーズダリこうこく(英語表記)Rostovo-Suzdal'skoe knyazhestvo

改訂新版 世界大百科事典 「ロストフスーズダリ公国」の意味・わかりやすい解説

ロストフ・スーズダリ公国 (ロストフ・スーズダリこうこく)
Rostovo-Suzdal'skoe knyazhestvo

中世ロシアの一公国で,キエフ・ロシアが細分状態に陥っていた時代にその北東に存在した。ロストフ,ついでスーズダリがその中心であったが,12世紀後半に都がウラジーミルに移され,ウラジーミル・スーズダリ公国と呼ばれ,キエフが没落していく中でウラジーミル大公国と称した。モスクワもこの公国の辺境に位置する町であった。その領域は,北はラチャ湖,ウスチヤ川から南はクリャジマ川,ロパスニャ川まで,東はウンジャ川,ユグ川から西はトベルツァ川にまで至る広大なものであった。最古の都ロストフがロシア最古の《原初年代記》の862年の記事中にメーリャ人の中心地として現れているように,この地は本来メーリャ人をはじめとするフィン・ウゴル語派に属する言語を話す人々の居住地であったが,スラブ人の移住により融合・同化したものである。11世紀後半から12世紀第1四半期までロシア南西部のペレヤスラフ公に帰属していたが,1125年ウラジーミル・モノマフが息子ユーリーに分領地として与えて以後,政治的に自立する傾向を強めた。もともとキエフ・ロシアの辺境に位置していたが,11世紀末ごろより,ノブゴロドスモレンスクなどの北西部から,また戦争内訌(ないこう)およびポロベツ人攻撃に苦しむ南部からの移住者増大に伴い,多くの町の建設,経済的強化が進展した。ユーリーが公国としての基礎を築いた後,その子アンドレイの治世にキエフ・ロシアの中でも有力な公国として発展していった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のロストフスーズダリ公国の言及

【ウラジーミル大公国】より

…やがて15世紀末にロシア統一の中心となるモスクワ公国も比較的若い公国として,この大公国内の一公国を構成していた。 ウラジーミル大公国は,当初,古くからの都市ロストフとスーズダリを中心に発展したので,ロストフ・スーズダリ公国と呼ばれていた。その基礎を築いたのはウラジーミル・モノマフの息子ユーリー・ドルゴルーキー(?‐1157)で,ユーリーの息子アンドレイ・ボゴリュプスキーがこの公国をいっそう強化した。…

※「ロストフスーズダリ公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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