大学事典 「ロード学則」の解説
ロード学則
ロードがくそく
1636年に集大成されたオックスフォード大学学則。1854年のオックスフォード大学法成立まで同大学の教育・運営を規定した。1630年に学長(chancellor)に就任した,のちのカンタベリー大主教ロード,W.(William Laud, W.,1573-1645)は積極的に大学運営に携わり,不備のあった学則改訂に着手した。この時代,国王ジェームズ1世,チャールズ1世は大学に特権や寄付を与える一方,宗教改革以降の宗教的統一を図るために,大学がイギリス国教会体制の確立と安定化の源となることを求め,ヘブドマダル・ボード(カレッジの長,学監から構成され,週に1度大学運営について討議する機関)を創設するなど,大学への直接的介入を強めていた。
ロードは学生生活の規律化,居住や教育内容など曖昧化していた学位授与要件の厳格化に力を注いだ。第一学位(Bachelor of Arts)のカリキュラムと試験は古典語および古典人文学の著作家が中心となり,上流階級出身学生の増加と相まって,第一学位取得者のための教育が主となっていった。大学運営については,正規の教師のみの集会コンヴォケーションと,補佐教師も含めたより広範な集会コングリゲーションの構成および機能が詳細かつ包括的に成文化された。コンヴォケーションは正規の教師,ドクターから構成され,ヘブドマダル・ボードによって提出された学則等に関する動議がコングリゲーションに提出されたのち,それを認否する権限を与えられた。大学運営の中世的形態は一見変わらなかったが,実権は大学教師の団体からカレッジの学寮長という少数集団へ移行した。
著者: 中村勝美
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報