改訂新版 世界大百科事典 「ワイトリング」の意味・わかりやすい解説
ワイトリング
Wilhelm Christian Weitling
生没年:1808-71
ドイツ初期社会主義の理論家。洗濯女の私生児として生まれ,長じて仕立職人としてドイツ,オーストリアを遍歴の後,パリで秘密結社〈追放者同盟〉へ加入した。その後〈義人同盟〉の指導者となり,1839年のブランキスト蜂起の失敗後はスイスで共産主義の宣伝に努める。彼が執筆した《人類,その現状と理想像》(1838)および《調和と自由の保障》(1842)は〈財産共同体〉を理論的に基礎づけようとした同盟の綱領的文書であった。その後逮捕,投獄,追放されて44年ロンドンに着く。46年彼はブルジョアジーとの妥協を排した直接行動論を唱えてマルクスらと対立し,ニューヨークへ渡った。48年革命期に一時帰国するが,革命の敗北後ニューヨークへ戻り,新聞《労働者の共和国》(1850-55)を刊行するとともに,共産主義的コロニーを実験し,失敗した。晩年は妻と6人の子を抱え貧窮のうちに過ごした。
執筆者:良知 力
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報