ワイトリング(読み)わいとりんぐ(英語表記)Wilhelm Weitling

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイトリング」の意味・わかりやすい解説

ワイトリング
わいとりんぐ
Wilhelm Weitling
(1808―1871)

ドイツの初期社会主義者。1835年仕立職人としてパリ遍歴。ここでフランス社会主義思想に接し、1837年急進的な「義人同盟」に参加した。1839年にブランキ一揆(いっき)に加わり、その失敗後、1841年にスイス移住し、主著調和と自由の保証』を著して共産主義の理論家として名をなした。スイスのドイツ人の間に多くの支持者を得たが、キリストを共産主義の先駆者と説いた文書の発行で官憲弾圧を受け、1年の入獄後、1846年末アメリカに渡った。1848年の三月革命期に一時ドイツに帰国、第2回ドイツ民主主義者会議に参加したが、革命挫折(ざせつ)でふたたびアメリカに渡り、共産村の建設や新聞『労働者の共和国』の編集を行った。

末川 清]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイトリング」の意味・わかりやすい解説

ワイトリング
Weitling, Wilhelm

[生]1808.10.5. マクデブルク
[没]1871.1.22. ニューヨーク
ドイツの社会主義者。仕立職人として,1828年以来ドイツ,オーストリア,スイスの各地をめぐり,さまざまな蜂起に参加。 35年にはパリでドイツ人亡命者の「正義者同盟」に加わってその指導者として活躍。 46年にアメリカに渡った。 48年三月革命高揚を聞くと再びヨーロッパに戻り,パリを経てドイツに入り,各地で活動したが,官憲の追及を受けて,49年ニューヨークに移住。 51年にアイオワ州で共産主義コロニーの建設を試みたが失敗した。彼の思想はマルクス,エンゲルスらの科学的社会主義とは異なり,手工業者の貧窮を救おうとする空想的社会主義的な性格が強かった。『協調と自由の保証』 Garantien der Harmonie und Freiheit (1842) の著書がある。

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