アカディア(英語表記)Acadia

翻訳|Acadia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

現カナダのノバスコシア州とニューブランズウィック州,およびアメリカ合衆国のメーン州あたりをさす呼称。アカジアとも表記される。 17~18世紀の北アメリカ大陸の覇権をめぐるイギリスとフランスの対立抗争の舞台であった。アカディアに植民地設立を試みたのはフランス人が最初で,失敗を重ねたのちにサンクロア河口のドチェット島 (現メーン州) に 1604年植民が行われた。しかし 13年,南方のイギリス植民地からの軍隊はアカディアのフランス植民地の中心地ポールロワイヤル (ポートロイアル) を陥れ,21年この地はスコットランド人の W.アレクサンダーに与えられ,ノバスコシア (新スコットランド) と改名された。以後イギリスとフランスの間を転々としたが,1713年のユトレヒト条約で現在のノバスコシアだけがイギリスに割譲された。 63年に北アメリカ大陸におけるフランスの敗北が決定的になると,全アカディアがイギリス領となった。主としてフランス系であったアカディア人は,1754年から始ったフレンチ・アンド・インディアン戦争の間,ニューフランスとの提携を恐れたイギリスにより南方の現アメリカ合衆国へ強制移住させられ,ロングフェローが『エバンジェリン』 Evangeline (1847) で歌った悲劇を生んだ。

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世界大百科事典 第2版の解説

現在のカナダのニューブランズウィック州,ノバ・スコシア州,アメリカ合衆国のメーン州にまたがる地域の古称。1605年,ノバ・スコシアの現アナポリス・ローヤルにフランスから派遣されたド・モンシャンプランは植民地を形成,2年後に彼らの関心はケベックへ移ったが,以来ここはフランス系カナダ人の故郷となっており,現在もフランス語を話す人々が多く居住している。一方イギリスもこの地に進出して領有権を主張し,21年スコットランド貴族W.アレクサンダーにこの地を与えて〈ノバ・スコシア(新しいスコットランド)〉と称した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カナダ南東部、ノバ・スコシア州の旧名。17世紀初頭にフランス人が開拓したが、フレンチ・アンド・インディアン戦争の始まった1755年、フランス系住民アカディア人をイギリス人が追放した。以後イギリス人がこの地を支配するようになり、彼らの名称であるノバ・スコシア(故郷スコットランドのラテン名)が用いられるようになった。[山下脩二]

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

現在のカナダ東南部のノヴァスコシア州の旧称
1497年イタリア人S.カボットが発見。17世紀初めにフランス人が進出してアカディアと命名し,以後その領有をめぐってイギリス・フランス両国が再三争った。1713年ユトレヒト条約でイギリス領となり,七年戦争後,イギリスの優位が確定した。1867年カナダ連邦に編入された。

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