シャンプラン(読み)しゃんぷらん(英語表記)Samuel de Champlain

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャンプラン」の意味・わかりやすい解説

シャンプラン
Champlain, Samuel de

[生]1567? ブルアージュ
[没]1635.12.25. ケベック
フランス探検家カナダ生みの親。 1598年スペイン王の命令で北アメリカ大陸をたずねたのがきっかけとなり,1603年にはフランス王の命でセントローレンス川探検,翌年北アメリカ大陸初のフランス植民地ポールロワイヤル建設尽力。引続きアカディア地方を探検,測量した。 08年ケベックに恒久的植民地を建設,以後彼の生涯はこの植民地の発展に捧げられた。 27年にはニューフランス植民地の総督に任命されたが,それ以前に北アメリカ大陸に残した足跡は,五大湖周辺からニューヨーク北部にいたっている。 28~32年イギリス軍がケベックを占領,その間捕えられ,フランス本国へ送還されたが,33年再びケベックへ戻りそこで没した。彼自身はケベックにあって植民地における通商定住の確立に腐心したが,É.ブルレーらの若者を北アメリカ先住民族の間に派遣して彼らの言語,風俗,習慣を学ばせたことは,のちのカナダとなるニューフランス植民地の基礎づくりに大きな役割を果した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャンプラン」の意味・わかりやすい解説

シャンプラン
しゃんぷらん
Samuel de Champlain
(1567?―1635)

フランスの探検家。1603年、フランス王アンリ4世の派遣により、北アメリカのセント・ローレンス川流域の測量に赴き、そこにフランスの北アメリカ植民地設立の可能性をみいだす。08年、現ケベック市に砦(とりで)を建設、以後150年間にわたる植民地経営の基礎を築いた。27年にニュー・フランス総督となる。28~32年のイギリスによる占領期を除き、ケベックで没するまで北アメリカ大陸北部の探検とこの地におけるフランスの覇権確立に尽力。彼は「ニュー・フランスの父」とよばれる。

[大原祐子]

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