ユトレヒト条約(読み)ゆとれひとじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユトレヒト条約」の意味・わかりやすい解説

ユトレヒト条約
ゆとれひとじょうやく

スペイン継承戦争(1701~14)終結の際の一連講和条約の総称。まず1713年4月11日、フランス、スペインとイギリス、オランダ、ポルトガルサボイア間にオランダのユトレヒトUtrechtで条約が成立。ついで、14年3月6日、フランスとドイツ皇帝(オーストリア)間にラシュタット条約、さらに同年9月7日のバーデン条約、15年11月15日のオランダと南ネーデルラント間の障壁協定と一連の補足の協約が成立した。

 この結果、スペインは、フェリペ5世の復位は認められたものの、ネーデルラント、北イタリア、ナポリサルデーニャはオーストリアへ、シチリアはサボイアへ譲渡され、決定的に没落した。フランスは、戦前の領地保持したが、ルイ14世の大陸制圧政策は挫折(ざせつ)した。もっとも有利なのはイギリスで、ジブラルタルミノルカ島を得て地中海制圧の足場をつくり、ニューファンドランドほかを得て北アメリカ植民地を拡大し、またスペイン植民地に対する貿易特権を得て、イギリス優位の時代を開いた。

[千葉治男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユトレヒト条約」の意味・わかりやすい解説

ユトレヒト条約
ユトレヒトじょうやく
Treaties of Utrecht

1713年4月~14年9月にわたって締結されたスペイン継承戦争を終結するための一連の講和条約。この結果,スペインのフェリペ5世王位を認められたが,フランスの王位継承権は放棄,フランスは東部国境線の保持が決った。イギリスはフランスからニューファンドランド,アカディア,ハドソン湾地方を,スペインからジブラルタル,ミノルカ島を譲り受け,スペイン植民地へのアフリカ奴隷供給権 (→アシエント ) を得,最大の受益国となった。オーストリアはスペイン領ネーデルラント,ミラノ,サルジニアを獲得。サボイア家シチリア王国の獲得,プロシアの王号承認なども決り,18世紀ヨーロッパの国際関係の大枠がほぼ確定された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android