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アブド・アッラフマーン[3世] ‘Abd al‐Raḥmān III

世界大百科事典 第2版の解説

アブド・アッラフマーン[3世]【‘Abd al‐Raḥmān III】

889‐961
後ウマイヤ朝第8代アミール。在位912‐961年。即位後しばらくの間,国内諸勢力の統合に努め,その後は北方のレオン国王などキリスト教徒諸侯の南進を阻止し,929年にはカリフと称してファーティマ朝に対抗し,マグリブ西部の大半を後ウマイヤ朝の支配下に置いた。国内産業の振興に努める一方,ベルベル人やスラブ系の軍人奴隷サカーリバを軍隊の主力とし,王朝の最盛期を現出した。【花田 宇秋】

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世界大百科事典内のアブド・アッラフマーン[3世]の言及

【後ウマイヤ朝】より

…756‐1031年。ウマイヤ朝第10代カリフ,ヒシャームの孫のアブド・アッラフマーン1世が,アッバース朝の追手を逃れて,756年総督ユースフを破り,コルドバでアミールを宣して以来,1031年の滅亡まで,24代(19人)の君主のうち16人までがウマイヤ家出身者であったので,日本では後ウマイヤ朝と通称される。アブド・アッラフマーン1世は,カリフではなくてアミールと自称したが,それは彼の王朝がまだアッバース朝と比肩できず,またイスラム国家は一つで,しかも1人のカリフによって治められなければならないという伝統を重んじたからである。…

【コルドバ】より

…711年にイベリアに侵攻したイスラム教徒は,軍事征服が一段落すると,アル・アンダルスと命名したこの新しい領国の首都にコルドバを選んだ。そして756年にはダマスクスを追われたウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世が亡命政権を立てたことから,西方イスラム世界の首都となった。 後ウマイヤ朝期(756‐1031)はアル・アンダルスの最盛期であり,コルドバは西ヨーロッパ随一の規模に発展した。…

※「アブド・アッラフマーン[3世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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