アメリカンフットボール(英語表記)American football

デジタル大辞泉 「アメリカンフットボール」の意味・読み・例文・類語

アメリカン‐フットボール(American football)

米国で考案された球技。1チーム11人で争い、楕円形のボールを敵陣に持ち込み、また、キックでゴールを越すと得点になる。防具を身につけ、自由に体当たりできる。米式蹴球べいしきしゅうきゅう。アメフト。アメラグ

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精選版 日本国語大辞典 「アメリカンフットボール」の意味・読み・例文・類語

アメリカン‐フットボール

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] American football ) サッカーとラグビーから考案されたフットボール。競技時間は六〇分で一五分ずつの四クオーターからなり、攻撃と守備が明確に分かれている。一チームは一一名。全選手に体当たり攻撃でき、防具をつけることなどが特徴。一八七〇年頃アメリカに始まり、日本には昭和九年(一九三四)に紹介された。米式蹴球。鎧(がい)球。アメフト。アメラグ。

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改訂新版 世界大百科事典 「アメリカンフットボール」の意味・わかりやすい解説

アメリカン・フットボール
American football

アメリカの学生がサッカーやラグビーをもとに考案したチーム競技。楕円形のボールを相手陣にもち込むとか,キックで相手ゴールのバーを越すとかして,その得点を争う。アメリカでは単にフットボールといい,野球と並ぶ国技である。世界的な広がりには乏しく,アジアでは日本,韓国で行われている程度。カナダにこれと類似したカナディアン・フットボールCanadian footballがある。

大学の対抗競技として生まれ発達した。1869年11月6日,ニュージャージー州ニューブランズウィックのラトガーズ大学がプリンストン大学を招いて行った試合が,この競技の始まりとされている。25人ずつの選手が丸いゴムのボールをけり合うサッカーと変りのない競技で,先に6ゴールした側を勝ちとしたが,この試合をきっかけにして東部の大学の間に普及。対校戦のための組織化が進んだからである。73年にイェール,プリンストン,コロンビア,ラトガーズの4大学が連盟を結成。次いでコーネル,ペンシルベニア両大学がチームを作った。このころハーバード大学ではボストン・ゲームと呼ばれるラグビーに似た競技を行っており,74年にカナダのマッギル大学を迎え,マサチューセッツ州ケンブリッジで初のラグビー試合を行った。足だけでボールを運ぶそれまでのフットボールと違って,手を使い相手に体当りするおもしろさ,激しさに魅力を見いだした東部の諸校は,次々とラグビースタイルに切り替え,それを基にアメリカン・フットボール独自のルールを編み出した。この改革に際して,今日〈アメリカン・フットボールの父〉といわれるウォルター・キャンプWalter Chauncey Camp(1859-1925)が大きな役割を果たした。イェール大学の主将を務めたキャンプは,卒業後も組織にとどまりルール委員として,より合理的な規則の作成に参画。現行の競技の基礎を作り上げるうえで功績を残した。80年にはチームの人数を11人に定め,スクリメージラインの概念を考え出して攻撃側と守備側を明確に分けた。プレーは攻撃側のセンターがボールをスナップすることで始まり,それを受け取るクオーターバックや,プレーを効果的に展開するためのシグナルコールを創案した。82年には攻守交代のルールであるダウンと必須前進距離を考案。つまりスナップで始まりボールの前進が停止するまでのプレーの1区切りをダウンと呼び,連続3度(現在は4度)のダウンのうちに5ヤード(現在は10ヤード。1ヤードは約0.9m)前進できないときは相手に攻撃権を譲る,というこの競技を特徴づける画期的なルールだった。競技は19世紀末から20世紀初めにかけてアメリカ全土の大学に急速に普及した。同時に激しい体当りによる危険が増大し,毎年のように死者が出るに及んで,競技の中止を求める声が起きた。そのプレーの激化を緩和する一策として,1906年には前パスがとり入れられ,やがてこの競技の特色となった。また12年には競技場の広さ,得点の比重などが現在の形に整えられた。選手の交代はしだいに許容範囲が広がり,やがてプレーとプレーの間に自由に交代できるようになった。現在では攻守交代に際して,どちらのチームも攻守のメンバーをそっくり入れ替える2プラトーン制が常識となっている。この自由交代制のために他の競技とは比較にならないほど選手の分業化が進み,各ポジションに専門化した選手を配してチームを編成するようになった。これに伴い攻守のシステムは複雑化し,今日では単なる球技というよりも,総合スポーツとまでいわれるようになった。

 アメリカではこの競技に母校の名誉と誇りをかけるといった面が強く,スタンドでは華やかな応援合戦が繰り広げられることでも知られている。有名な対校戦としては,最多の対戦回数をもつイェール,ハーバード両大学の試合(第1回は1875年),陸・海軍両士官学校の対校戦(第1回は1890年)があるが,ほかにそれぞれの地域に数多くの伝統のカードがある。9月から11月の3ヵ月がシーズンで試合は週1度。対校戦やリーグ戦が終わったあと,12月から新年にかけて,優秀な成績をあげたチームが温暖な南の各地でボウル・ゲームを行う。ボウルとはスタジアムの観客席がすり鉢形になっているのになぞらえた言葉で,スタジアムそのものと,そこで行われるゲームを指す。20ほどのボウル・ゲームにはそれぞれ開催地の名産や由来にちなんだ名がつけられている。バラ祭で知られるロサンゼルス郊外パサデナの〈ローズ・ボウル〉はもっとも歴史が古い。大学の有力チーム間には,チャンピオンを決めるトーナメント方式の選手権大会がなく,ボウル・ゲームはそれに似た役割を担ってきた。しかし1995年度にはボウル・ゲームの組織化がスタート。選手権大会実現の方向を探る協定allianceのもとに,マイアミの〈オレンジ・ボウル〉,ニューオーリンズの〈シュガー・ボウル〉,アリゾナ州テンピの〈フィエスタ・ボウル〉が持ち回りで,ランキングの1,2位校の対戦を実施。98年からはローズ・ボウルもこれに加わることとなった。高校でも大学同様に盛んである。大学での普及発展に伴って19世紀末にはプロもでき,1920年にはそれが組織化されてナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の名称で今日に至っている。対抗組織もいくつか生まれたが,そのつど吸収合併するなど,順調に発展。選手養成機関はなく,36年にドラフト制を考案。大学の名選手を補強している。ナショナル,アメリカンの二つのコンファレンスがあり,チーム数は野球の大リーグを上回る。1月にはワールド・シリーズに倣って両コンファレンスの代表が〈スーパー・ボウル〉で王座を争う。

 NFL繁栄の要素の一つはアメリカの三大放送網(CBS,NBC,ABC)と緊密な関係を構築してきたことだが,新たにCATVがスタートすると,1987年にはESPN,90年にはTNTと相次いで契約。CATV以外でも94年からはCBSに代えてFOXと契約を結んだ。こうした収益の分け前と身分の自由化とを求めた選手は,82年に史上初のストライキを行った。

 日本では1919年にアメリカ留学から帰った東京高師の岡部平太の指導で,同付属中学などで行われたが,普及には至らなかった。34年立教大学のポール・ラッシュPaul Rausch,ジョージ・マーシャルGeorge Marshall,ファウラーJ.E.Fowlerらが同大学の学生を指導,早稲田,明治両大学を加えて東京学生米式蹴球連盟を結成した。同年11月29日に明治神宮外苑競技場でこの3大学選抜軍と横浜〈外人クラブ〉との間で日本初の試合が行われ,同12月には3大学のリーグ戦が催された。翌35年3月には南カリフォルニア大学など太平洋岸の各大学の選手を中心としたアメリカ選抜チームが来日,紅,青2チームに分かれて日本の各地で7試合を行うとともに,全日本と2試合,南カリフォルニア大学と明治大学の試合が行われた。37年には日本米式蹴球協会が設立され,浅野良蔵が初代会長に就任。43年戦争で中断したが戦後復活し,現在は日本アメリカンフットボール協会が大学,高校,中学,社会人の各チームを統括している。戦後,東西大学王座決定戦の〈甲子園ボウル〉,東西学生選抜対抗の〈ライス・ボウル〉(84年から学生と社会人の1位が対抗する全日本選手権となる)が相次いで生まれ,その後,全関東対全関西の〈西宮ボウル〉ができた。アメリカとの交流は71年12月にチャック・ミルズChuck Millsが率いるユタ州立大学が来日して,国立競技場と甲子園球場で全日本と2試合を行い,これをきっかけに活発化した。76年1月18日には全米学生選抜東西対抗戦の〈ジャパン・ボウル〉が国立競技場で開かれ,満員の観衆を集めた。またアメリカの大学のレギュラーシーズンの試合を招いたボウル・ゲームを開催したり,アイビー・リーグの選抜チームなどを呼ぶこともたびたび行われた。NFLとのタイアップでは,開幕前のプロの試合が〈アメリカン・ボウル〉として開催された。チームは首都圏と京阪神地区を中心として年々増加し,今日では全国的規模の広がりをもつようになった。大学の発展と並行して社会人チームも増加を続け,選手の技術面では大学をしのぐ水準に到達。社会人選手権のしくみも整えられた。同好会的なチームも多く,女子のチームまで生まれている。ルールは,全米大学体育協会のものをそのまま採用している。

アメリカンフットボールのコラム・用語解説

【アメリカン・フットボールの用語】

ダウン
攻撃チームの1プレー。センターのスナップで始まり,ボールデッドになって終了する。
スクリメージ
ボールをはさんで攻撃側と守備側が相対し,ここから展開されるプレーの総称。キックオフなどのフリーキック以外のすべてのプレー。
フォーメーション
プレーを始めるときの攻撃側,守備側それぞれの隊形。しかし一般的には攻撃の隊形をいうことが多い。攻撃隊形の種類はきわめて多いが,守備側から見てT字形に攻撃側のバックスが位置をとるTフォーメーション,I字形に並ぶIフォーメーション,プロが使うT隊形のバリエーションのプロセットなどが通常使われている。またパサーがセンターから7ヤード後方に離れてスナップを受け,最大5人のレシーバーが散弾銃のように前パスを受けに飛び出す〈ショットガン〉という攻撃隊形もある。守備の場合はライン,ラインバッカー,ディフェンスバックにそれぞれ配置する人数によって〈5-2-4ディフェンス〉などと呼ぶ。
ハドル
次のプレーを行う前に作戦を打ち合わせるために選手が集まること。攻撃側はボールから10ヤードほど後ろで円陣を組んだり,2列に並んだりして指示を受ける。QBがプレーを指示することが多いが,交代選手がベンチからの作戦を伝達することもある。
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1チームは11人ずつで,交代はほぼ自由。楕円形のボールを相手のエンドゾーンにもち込み,あるいはプレースキックでゴールのバーを越したりして得点する。相手陣にボールを運び込むタッチダウンが6点。このあとトライフォアポイントといってタッチダウンした側にもう1度ゴール前3ヤード(プロは2ヤード)から攻撃の機会が与えられ,再びボールをもち込めば2点,キックでバーを越せば1点が加算される。通常の攻撃でゴールポストをキックでねらうフィールドゴールは3点。自陣内でタックルされたりして相手に与える得点をセーフティといい,2点である。野球と同様に,つねに一方が攻め,他方が守る。ボールを正当に所有している側が攻撃チームである。ポジションの名称は多種多様だが,攻撃側は7人のラインと4人のバックスに大別できる。ラインは7人の中央をセンター(略称C),その両側をガード(G),その外をタックル(T),ライン両端をエンド(E)といい,ガード,タックルには左右の区別がある。エンドもかつては左右の区別をしたが,現在はタックルに接して位置するエンドをタイトエンド(TE),遠くに離れて位置するのをスプリットエンド(SE),またはワイドレシーバー(WR)と呼ぶ。ラインはスクリメージラインに横1列に並び,ブロックで相手を押しのけてバックスの走路を切り開いたりするのが役割である。両エンドは前パスを受けに走ったりする。バックスはフォーメーションによって名称が変わることが多いが,通常のTフォーメーションの古典的な呼び方として,センターからのスナップを受けてプレーを展開させるクオーターバック(QB)と,左右のハーフバック(LH,RH),フルバック(FB)がある。ハーフバック,フルバックはボールをもち運びすることが多く,現在では一括してランニングバック(RB)と呼ばれる。またIフォーメーションなどで最後尾に位置するバックをテールバック(TB)と呼ぶ。守備側は大別してスクリメージラインで相手と相対するライン,その後ろに位置するラインバッカー(LB),最深部を守るディフェンスバック(DB)がある。

 試合はキックオフで始まる。1度ボールを所有すると続けて4プレー攻撃することができる。この4度の攻撃の間に10ヤード以上前進すると,再び4度攻める権利が生ずる。これをダウン更新といい,何度でも繰り返すことができる。しかし10ヤードを進めなかったときは,四つ目のプレーが終わった地点で相手の攻撃となる。プレーはボールがスナップされてからボールキャリアが倒されたり,前パスが失敗したりするまでが1区切りとなり,これをダウンという。サイドラインではボールの位置やダウンの数を明確にするため,ダウン標示器と10ヤードのチェーンが用いられる。ダウンごとに試合はとぎれ,そのつどハドルを組んで作戦を立てる。プレーの種類は非常に多いが,大きく分けるとバックスがボールをもって突進するランニングプレーと,前パスを使うパスプレーとがある。前パスはこの競技を特徴づけるプレーで,スクリメージラインの後ろから,そのダウンで1度だけ投げることができる。パスを受けることができるのは,4人のバックスと,ライン両端の選手に限られている。このほかゴールポストをねらうフィールドゴール,地域を挽回(ばんかい)するためのパントといったキックのプレーがある。競技時間は正味60分(高校は40分)。各15分の節(ピリオド,またはクオーター)に分け,第1節と第2節が終わるとフィールドを入れ替わる。前半(第1,2節)と後半(第3,4節)の間には原則として15分のハーフタイム(休憩時間)を置く。試合は1プレーごとに攻撃側と守備側が激しくぶつかり合ってきわめて勇壮。選手の危険防止のためにヘルメット,ショルダーパット,ひざ当てなどの防具をユニフォームの下に着用することが義務づけられている。審判は最大7人が判定に当たり,ダウン標示器やチェーンをもつ補助員を使う。
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百科事典マイペディア 「アメリカンフットボール」の意味・わかりやすい解説

アメリカン・フットボール

サッカーとラグビーをもとに19世紀後半米国で考案された競技。米国では単に〈フットボール〉という。1チーム11名ずつで,各自防具を付け,楕円(だえん)形のボールを相手側の陣地に持ち込んで得点を争う。攻撃側と防御側がはっきり区別されているのが特徴で,攻撃側が連続4回のダウン終了後10ヤード前進できないと攻守が入れ替わる。現在では攻守交代に際してメンバーをそっくり入れ替える2プラトーン制が普通。米国では野球と並ぶ国技といえ,大学のリーグなどは母校の栄誉をかけて争われ,全国の注目を集める。シーズン終了後行われる選手権試合を〈ボウルゲーム〉と呼ぶが,これは競技場が鉢(bowl)形であるためで,試合地の特産品の名を冠して〈ローズ・ボウル〉,〈オレンジ・ボウル〉,〈シュガー・ボウル〉などがある。1920年にはプロ・リーグが組織され,ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の名称で現在に至っている。米国以外の世界的な広がりはあまり大きくない。アジアでは日本と韓国で行われているにすぎない。カナダにはこれに類似したカナディアン・フットボールがある。
→関連項目タッチ・フットボールテーピングフットボール

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