翻訳|strike
( 1 )[ 一 ]①の日本における最初のものは、明治一八年(一八八五)に起こった、甲府の製糸工場争議と言われている。これ以降、とくに日清戦争後に各地で起こったが、明治三三年制定の治安警察法により禁止された。
( 2 )この語は、明治三二~三八年(一八九九‐一九〇五)頃に大流行した「ストライキ節」により一般化した。
( 3 )[ 一 ]①は「同盟罷業」「同盟罷工」、[ 一 ]②は「同盟休校」などとも訳され、新聞ではこれらの訳語が用いられた。「ストライキ」が広く用いられるのは、第二次世界大戦後のことである。
罷業または同盟罷業の意。資本家に圧力をかけて要求を貫徹するため,労働者が同盟して労働の提供を拒絶し,いっせいに作業を停止する行為をいう。単にストとも略され英語で海事用語のstrikeから出たもので,その昔,待遇に不満のある水夫たちが帆桁を〈降ろしてstriking〉船の進行を停止したことから,労働用語として使われるようになったと伝えられる。資本主義のもとでは,みずからの労働力を売って資本家のもとで働く以外に生活手段を得る道がない労働者と,利潤を増大させるために賃金・労働条件を可能な限り下げようとする資本家との闘争が避けられないが,ストライキはこのような闘争にさいし労働者の最も基本的かつ効果的な武器として闘われてきた。しかし,資本主義初期のストライキは,原生的な劣悪な労働条件と無権利状態に対する本能的反発を特徴とする自然発生的なものにとどまっていた。それが真の意義をもつようになったのは,資本制的生産関係が確立し,労働者の恒常的組織として労働組合が組織された産業革命以降のことである。労働組合の発展と表裏一体となり,団体交渉と不可分の争議手段として,組織的かつ大規模に闘われるようになった。
今日,ストライキは多種多様な形態のもとに行われている。職業別組合が熟練工の供給独占を行っていた段階では工場・事業所から退去するウォーク・アウトwalk-outの形をとっていたが,独占資本主義の時代になって半熟練・未熟練労働者の比重が増大すると,ウォーク・アウトを行っても容易にスト破りを導入されるので,工場・事業所内の職場に座り込んで作業をしないシットダウン・ストsit-down strikeが支配的となった。ステイインstay-inはこうしたシットダウン・ストを発展させたもので,シットダウン・ストが契約された就業時間内のものであるのに対し,長時日にわたって職場に籠城するストライキをいう。その他,目的の面からみると経済闘争を目的とする経済スト,政治的目的を掲げる政治スト,他産業や他企業で争議中の労働者を支援する同情ストがあり,スト参加者の範囲からは一経営内の経営スト,一産業・一地方あるいは一国に及ぶゼネラル・ストライキ(ゼネストと略称)がある。このうち経営ストは,経営内の全労働者による全部ストと特定部門の労働者が行う部分ストに区分され,部分ストにはさらに特定の労働者を指名して行う指名ストがある。また,時間を限定するか否かで時限スト,無期限ストに分かれ,時限ストを断続的に行う場合は波状ストという。その他,歴史上社会の耳目を集めたものには山猫スト,ハンガー・ストライキ(通称ハンスト),納金ストがある。山猫ストとは,一部の組合員・労働者が組合や争議団の内部規律を無視して行うストライキをいい,労働組合の官僚機構化が進んだ第1次大戦以降の現代に特徴的な現象である。また,ハンストは絶食をもって示威するもので,消極的戦術ではあるが,社会にアピールするには有効とされる。これに対し,納金ストは1950年代に日本電気産業労働組合(電産)があみだした形態で,組合員の集金した料金の納金を拒否するものであり,その後タクシー会社の争議でも行われた。このように,労働者は実に多様な形態のストライキをあみだしてきたが,現今では,ストライキという用語自体が一般化し,学生の行う同盟休校等にも用いられている。
しかし,ストライキは,以上のように,単に闘争戦術や形態として評価するのみでは不十分である。ストライキとは一時的にせよ労働者が団結して賃金奴隷であることをやめることであり,このことを通して,労使間の敵対的関係と団結の威力,生産の主人公としての意識と連帯意識を労働者に自覚させずにはおかない。そして,このような自覚が高まれば,ストライキ闘争は経営ストからゼネストへ,そして経済ストから政治ストへと展開し,やがては権力に対する闘争へと発展せざるをえない。ストライキが〈労働者の兵学校〉(レーニン)とされるゆえんである。
→労働運動 →労働争議
執筆者:上井 喜彦
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…24年,F.ラングの《マブゼ博士》(1922)のロシア語版編集の監修に携わり,学生時代からとくにD.W.グリフィス作品を通じて知っていた〈編集〉の効果をさらに深く学ぶ。演劇の限界を自覚して映画に転じ,初めての長編《ストライキ》(1924)で経験豊かなカメラマン,ティッセEdouard Tissé(1897‐1961)と組み,生涯にわたる協力がここから始まった。《ストライキ》はソビエト国内よりも国外で高く評価され,また次に中央委員会から委託されて撮った《戦艦ポチョムキン》(1925)は国の内外の観客大衆に熱狂的な好評で迎えられ,ソビエト映画の存在を世界に示すとともに世界映画史を飾る記念碑的作品となった。…
… 公労協は1956年にはじまった春闘に参加し,60年の安保改定阻止闘争でも大衆動員の主力となり,6月4日,15日には統一ストの中心となった。翌61年春闘でははじめて公式にストライキの用語を使い,64年には半日規模の大規模なスト(四・一七スト)が準備された。その回避をめぐって池田勇人首相と太田薫総評議長との会談が行われ,公労協の賃上げの〈民間準拠〉の原則が確認された。…
…もし使用者がこれを拒否すればいっせいに就業をやめ,労働供給を停止して使用者が譲歩するのを待つ。これがストライキ(同盟罷業)である。その間の収入減に対しては組合基金から補償するのが原則であるが,組合財政の状態によっては補償されないことも多い。…
…権利争議は組合承認,解雇問題など,団体交渉のルールや労働者の身分にかかわる事項に関する争議で,経済的な利害得失を超える問題として取り上げられるため,解決に時日を要する場合が多い。目的別には,通常みられる組合・使用者間の交渉にともなう争議のほかに,組合が他の組合の運動を支援し,労働者の連帯を示威する目的で行われる同情ストライキがある。結果的には労働条件の全体的水準を維持・向上することを意図しているといえるが,社会的圧力を醸成して労働者階級の発言力を高めようとする行動様式であるため,政治的色彩が濃い。…
※「ストライキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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