アルタクセルクセス

百科事典マイペディア 「アルタクセルクセス」の意味・わかりやすい解説

アルタクセルクセス[2世]【アルタクセルクセス】

アケメネス朝ペルシアの王(在位前404年―前359年)。ダレイオス2世の子。〈大王の和約(アンタルキダス条約)〉によりスパルタ小アジア干渉を排除したが,エジプト遠征失敗,これ以後ペルシアは急速に衰退した。弟キュロス反乱鎮圧は,クセノフォンアナバシス》に詳しい
→関連項目アンタルキダス条約キュロス

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルタクセルクセス」の意味・わかりやすい解説

アルタクセルクセス(1世)
あるたくせるくせす
Artaxerxes Ⅰ
(前483?―前424)

アケメネス朝ペルシアの王(在位前465~前424)。父クセルクセス1世殺しとして兄ダリウスを殺害して、18歳で即位した。治政初期よりバクトリアなど各地の反乱に悩まされた。エジプトアテネの支援を得て帝国に対抗したため、王は賄賂(わいろ)を使ってアテネをスパルタと対立させようとしたが、結局、紀元前448年ごろの和平で小アジアのギリシア都市国家を失った。ペルセポリス造営など先王の政策を踏襲しながらも、ついに自ら軍隊を指揮することもなく、帝国の辺境地は次々と失われていった。スーサに没し、墓はナクシュ・イ・ロスタムにある。

[奥西峻介]



アルタクセルクセス(2世)
あるたくせるくせす
Artaxerxes Ⅱ
(?―前359/358)

アケメネス朝ペルシアの王(在位前404~前359/358)。アルタクセルクセス1世の孫。即位以来、王位をめぐる闘争と反乱に悩まされたが、紀元前401年弟キロスを破って王位紛争を解決した。エジプトが離反し独立を宣言したが、鎮定できなかった。ギリシアに対しては賄賂(わいろ)によって都市国家間の離反を謀り、小アジアやキプロスの支配を回復することができた。しかし、ユーフラテス川の西方の全地域が、次々と反乱、諸州は独立を宣言して、帝国に対抗した。王はこれらの鎮圧に苦労したが、反乱諸州の内紛によって、小康を取り戻すことができた。

[奥西峻介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「アルタクセルクセス」の解説

アルタクセルクセス(2世)
ArtaxerxesⅡ

前436ごろ〜前358
アケメネス朝の王(在位前404〜前358)
ダレイオス2世の子。スパルタとアンタルキダスの和約(大王の和約)を結び,小アジアのギリシア都市を領有した。

アルタクセルクセス(1世)
ArtaxerxesⅠ

生没年不詳
アケメネス朝の王(在位前465〜前424)
クセルクセス1世の子。アテネとカリアスの和(前449)を結び,ペルシア戦争を終結させた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android