クセノフォン(読み)くせのふぉん(英語表記)Xenophon

翻訳|Xenophon

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クセノフォン」の意味・わかりやすい解説

クセノフォン(古代ギリシア文筆家)
くせのふぉん
Xenophon
(前430ころ―前354ころ)

古代ギリシアの軍人、文筆家。アテナイのエルキア区の出身。父は豊かな騎士階級の人であったらしく、『馬術』『騎兵隊長論』などの著作がある。ソクラテスの弟子の一人で、プラトンはほぼ同年輩のライバルであった。師の追憶はのちに『覚書』『饗宴(きょうえん)』『ソクラテスの弁明』にまとめられている。しかし彼は元来武人で、師の深い哲理に浸ることはできず、またアテナイの民主政治の退廃は耐えがたいものであった。おりよく旧友からの手紙で、ペルシア王アルタクセルクセス2世の王位をねらう弟キロスの軍隊に参加するように勧められる。彼は師ソクラテスの苦言を受けながらも、ついに小アジアに渡り、その軍隊の傭兵(ようへい)となってバビロンに向けて出発する。しかし、頼むキロスはまもなく戦死、やむなく彼は敗軍の将として1万のギリシア人部隊を率いて退却、多くの苦難と戦いながら積雪のなかを黒海沿岸を旅してボスポロスにたどり着く。この1万人の退却の記録が、彼の最大の傑作『キロスのアナバシス』(アナバシスは「のぼる」の意)7巻である。もっとも5巻以後は、それまでの生々しい筆致に比べて著者の自己弁護が目だち、このへんに作品成立の事情がうかがわれる。このほか、同じキロスの名を冠したものに『キロスの教育』という8巻の作品があるが、これはその名を借りて綴(つづ)った彼の理想の王者像である。彼は紀元前399年にこの遠征から解放されたが、まもなくスパルタ王アゲシラオスの軍に加わってアテナイと戦うはめに陥り、ついに祖国からは追放の宣告を受けた。しかしこのコリント戦争が終わるころには、スパルタから贈られたオリンピア近くのスキルス村に引きこもり、妻子とともに静かな文筆生活に入った。『アナバシス』など多くの大作はここで生まれている。ところが5年後にはスパルタがテーベに敗れたので、彼はスキルスからコリントに移り、アテナイからの追放解除はあったが、この地で死んだといわれている。

 彼の作品は非常にすなおなアッティカ方言で書かれているために古典ギリシア語の代表として、また文体の範としてローマでも尊重されたために、珍しいことに全作品が残っている。前記のもののほかに、『ギリシア史』7巻は前411~前362年、すなわちトゥキディデスの『戦史』が中断されたところからスパルタの覇権崩壊に至る間の歴史で、明らかに彼が先輩の筆を継がんとした作品である。ここで彼のスパルタびいきの心情は激しく、アゲシラオス王への尊敬の念のあまり、スパルタの敗北を抹殺し、敵方の英雄を黙殺している。『家政論』『狩猟論』『スパルタ人の国制』『ヒエローン』などの小論も興味深い

[風間喜代三 2015年1月20日]

『青木司朗・風間喜代三訳『世界文学全集5 アナバシス』(1968・筑摩書房)』『松平千秋訳『アナバシス』(1985・筑摩書房)』『クセノフォーン著、佐々木理訳『ソークラテースの思い出』(岩波文庫)』


クセノフォン(古代ギリシア作家)
くせのふぉん
Xenophon Ephesius

古代ギリシアの物語作者。3~4世紀ごろの人。後世「ギリシア小説」とよばれるジャンルに属する『アンテイアとハブロコメス』(別名『エペソス物語』)の作者。生涯についてはほとんど不詳。その名もおそらくはペンネームか。美男美女2人の主人公がさまざまな苦難にあいながら、最後はハッピー・エンディングに終わるという、この種の物語のパターンがここにもみられる。叙述がたどたどしいので原作の抄本であろうといわれる。

[松平千秋]

『松平千秋訳『エペソス物語』(『筑摩世界文学大系64 古代文学集』所収・1961・筑摩書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クセノフォン」の意味・わかりやすい解説

クセノフォン
Xenophōn

[生]前430頃.アテネ
[没]前355頃.コリントス
ギリシアの軍人,歴史家。ソクラテスの弟子。ギリシア傭兵軍に加わってペルシアの内乱に参戦,指揮官を失ったときに,彼が指導者に選ばれて1万人のギリシア軍をバビロンに近い砂漠のなかから黒海南岸まで退却させた功績は,自著『アナバシス』 Anabasisに詳しい。その後スパルタに味方して祖国を追放され,オリンピアに近い田舎に住み,再び追われてコリントスに移住した。主作品はほかに,『ヘレニカ』 Hellēnika,『ソクラテスの弁明』 Apologiā Sōkratūs,『ソクラテスの思い出』 Apomnēmoneumata,『饗宴』 Symposion,『家政論』 Oikonomikos,『キュロスの教育』 Kȳrūpaideiāなど。その文体は古典期ギリシア散文の典範とされる。

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