百科事典マイペディア 「キュロス」の意味・わかりやすい解説 キュロス[2世]【キュロス】 アケメネス朝ペルシア帝国の創立者(在位前559年―前530年)。〈大王〉と称される。オリエント世界の4強国のうちエジプトを除くメディア王国,リュディア王国,新バビロニアの3王国を征服して帝国の基礎を確立。バビロン捕囚のユダヤ人を解放するなど寛大な政策をもって知られ,後世,理想的な王者として仰がれた。→関連項目アケメネス朝|カンビュセス[2世]|クロイソス|ペルシア帝国 キュロス アケメネス朝ペルシア帝国の王子。ダレイオス2世の子。〈小キュロス〉と通称。前401年,兄のアルタクセルクセス2世から王位を奪うために,ペルシア軍と1万余のギリシア人傭兵(ようへい)隊を率いて反乱を起こしたが,敗死。傭兵の撤退のさまは自身その一員だったクセノフォンの《アナバシス》に詳しい。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キュロス」の意味・わかりやすい解説 キュロス(小)キュロス[しょう]Kyros ho Neōteros [生]前423以降[没]前401アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス2世の子。キロスとも表記される。ペルシア名クラシュ。アルタクセルクセス2世の弟。弱年で小アジアのアナトリアのサトラップ (州総督) 兼司令官に任じられ,スパルタを助けた。前 404年兄が即位すると兄謀殺計画の嫌疑をかけられたが母のとりなしで許された。任地に戻ると王位簒奪の準備を始め,前 401年ピシディア征討を口実にギリシア人傭兵多数を含む1万 3000の大軍を率いてユーフラテス河畔にいたり,そこで兄攻撃を表明。クナクサで王軍と遭遇 (→クナクサの戦い ) ,敗れて殺された。クセノフォンの『アナバシス』はこのときの戦記。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「キュロス」の解説 キュロス(2世)Kyros Ⅱ 前600ごろ〜前529アケメネス朝の王(在位前559〜前529)メディア・リディア・新バビロニア王国を滅ぼし,バビロンに捕らえられているユダヤ人(バビロン捕囚)を解放して帰国させた。首府をスサに定め,異民族に寛容で大王と呼ばれた。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「キュロス」の意味・わかりやすい解説 キュロス(2世)きゅろす →キロス(2世) 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by