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アルタン・ハーン Altan Khan

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世界大百科事典 第2版の解説

アルタン・ハーン【Altan Khan】

1507‐82
モンゴル,トゥメト部長。中国資料では阿勒坦汗,俺答汗と表記される。バルス・ボラトの次子として生まれ,その死後,トゥメト部を継承した。16世紀半ばより,しばしば明の北辺に侵入し,明人から恐れられた。また同族のチャハル部を圧迫して,これを遼東辺外に追った。のちにこれと和解し,ダライスン・ゴデン・ハンからシト・ハンの称号を得て,内モンゴル最大の実力者となった。1550年(嘉靖29)8月にアルタンは,明との正式な交易を求めて,北京を3日間包囲した。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のアルタン・ハーンの言及

【帰化城】より

…中国,内モンゴル自治区の区都フフホト(呼和浩特)の旧名。この地は遼・金・元代(10~14世紀)に豊州と呼ばれ,明末の16世紀20年代から内モンゴル族のトウメット(土黙特)部長アルタン・ハーンが駐牧してからモンゴル名のフフホト(青い城の意)で知られるようになった。1570年(隆慶4)明朝との和議が成り,アルタン・ハーンが明朝から順義王に封ぜられた際,その居城に対して帰化城の名を贈られた。…

【ラマ教】より

…【山口 瑞鳳】
【モンゴリア等におけるラマ教】
 黄帽派(ゲルー派)ラマ教がチベットの外へ最初に広まった地方はモンゴリアである。16世紀中ごろから黄帽派信仰が内モンゴリア西部のモンゴル貴族の間に流行しはじめ,ついに1578年大アルタン・ハーンは青海湖畔でダライ・ラマ3世に謁してその施主となるにいたった。ハーンの黄帽派への帰依はモンゴリアへのラマ教弘通の重大な機縁となった。…

※「アルタン・ハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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