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張居正 ちょうきょせい Zhang Ju-zheng; Chang Chü-chêng

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張居正
ちょうきょせい
Zhang Ju-zheng; Chang Chü-chêng

[生]嘉靖4(1525).5.3.
[没]万暦10(1582).6.20. 北京
中国,の政治家。湖北省江陵県の人。字は叔大。号は太岳,江陵。諡は文忠。父は文明,母は趙氏。嘉靖 26 (1547) 年進士となり,庶吉士を振出しに累進して翰林院侍読学士,隆慶1 (67) 年には吏部左侍郎兼東閣大学士として入閣し,同年4月には礼部尚書兼武英殿大学士となった。

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百科事典マイペディアの解説

張居正【ちょうきょせい】

中国,明代の政治家。湖北省の人。1547年の進士。万暦帝時代の首輔。アルタン・ハーンとの戦争状態を停止させ,王杲(おうこう)の侵入を防いだ。京師・各省の行政を整理し,冗費の節減,黄河下流の治水工事に成功したが,その政治はきわめて厳酷であった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうきょせい【張居正 Zhāng Jū zhèng】

1525‐82
中国,明代の政治家。字は叔大。太岳と号し,文忠と諡(おくりな)される。湖北省江陵県の人。ために張江陵とも称せられる。嘉靖26年(1547)の進士。家は湖広の軍籍に属し,祖父は王府の護衛という寒門の出身であるが,早くから実務的政治家としての能力を示していた。大土地所有の進行,土地の隠蔽,田賦の不公平,北辺軍事費の膨張による財政困難等の諸現実に国家の危機をみた彼は,政争を巧みにのりきり,1567年(隆慶1)には東閣大学士として入閣,国政に直接参与することとなった。

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大辞林 第三版の解説

ちょうきょせい【張居正】

1525~1582) 中国、明代の政治家。湖北の人。字は叔大、号は太岳。万暦帝初期の首輔(宰相)。北虜対策・行政整理・治水・財政再建に尽くし、明中興の実をあげた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張居正
ちょうきょせい
(1525―1582)

中国、明(みん)の官僚。湖北省江陵(こうりょう)の人。字(あざな)は叔大(しゅくだい)。号は太岳。諡(おくりな)は文忠。1547年に進士となり、庶吉士(しょきつし)を振り出しに嘉靖(かせい)(1522~66)末~隆慶(りゅうけい)(1567~72)初の首輔(しゅほ)であった徐階の知遇を得て累進し、67年東閣大学士となって入閣した。万暦(ばんれき)帝(在位1572~1620)が即位すると、皇太后や宦官馮保(かんがんふうほ)と結んで高拱(こうきょう)を退けて首輔となり、以後死亡時まで、帝の師として最高権力を掌握した。内政では官僚の綱紀粛正、冗官の整理、黄河下流の治水工事や全国的な土地丈量による隠田摘発などに敏腕を振るった。外には名将の戚継光(せきけいこう)、李成梁(りせいりょう)を満州からモンゴリア方面に派遣して辺防を強化した。モンゴルのアルタン・ハンとの戦争状態も平和的に改善し、互市を再開するなど、卓越した政治力を示した。しかし、性格が剛直で、皇帝に対しても他の官僚に対しても厳格にすぎたところがあって人の恨みを買い、父の死に服喪しなかったことを攻撃された。死後、一家は籍没(財産の没収)された。[川勝 守]

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世界大百科事典内の張居正の言及

【大明会典】より

…もう一つは《万暦会典》(228巻)と称する。これより前,嘉靖年間(1522‐66)に《続修大明会典》(53巻)が編纂されたが頒行されず,1576年(万暦4)にいたって張居正らが勅を奉じて続修に着手し,申時行らによって完成,頒布された。これは正徳から万暦までの事例を追加したもので,形式は《正徳会典》を踏襲しているが,引用書名を挙げないなど若干の相違もある。…

【帝鑑図】より

…中国,明代の政治家張居正の著書《帝鑑図説》12巻(1572∥隆慶6)にもとづいた人物画の画題。尭・舜以来の君王の治政の善の法とすべきもの81事,悪の戒めとすべき36事を選び,《蒙求(もうぎゆう)》の体に倣い,故事を四字句にまとめ,内容を述べ,1図を加えている。…

【万暦帝】より

…姓名は朱翊鈞(しゆよくきん),諡(おくりな)は顕皇帝,廟号は神宗,年号は万暦。10歳で即位したため,政務はもっぱら内閣の首席大学士であり,帝の学問上の師でもあった張居正に委ねられた。張居正は内政において,綱紀の粛正,冗官の整理につとめたほか,国家の財政収入を確保するため,1580年(万暦8)以来,全国的な土地の再測量と登録更新,すなわちいわゆる丈量(じようりよう)を行った。…

【明】より

…財政については,国初以来の古い原則と現実との間の矛盾が大きいうえ,官僚機構の腐敗と有力者の不当行為が結びついて,徴税の不当不正と非能率は目に余り,すでに正徳年間(1506‐21)から地方的に改革が試みられていた。徴税の基礎となる丈量(土地測量)を全国的に実施し,一時的にもせよ財政を再建したのが,万暦(1573‐1619)初期の張居正である。彼は幼い万暦帝の師傅(しふ)として母后の信頼を背景に,官僚の綱紀粛正に努力し,土地の丈量・再登記によって,嘉靖以来徐々に実施されていた税制改革を,いっそう効果あらしめたと考えられる。…

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