アンワリー(読み)あんわりー(英語表記)Auhad al-Dīn Muhammad Anwarī

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アンワリー
あんわりー
Auhad al-Dīn Muhammad Anwarī
(1116ころ―1189)

ペルシアの詩人。頌詩(しょうし)詩人としてペルシア文学史上最高の地位を占める。イラン東部ホラサーン地方の小都市アビーバルドに生まれる。トゥースにおいて学を修め、天文学、数学、哲学などにも精通した詩人として名高い。セルジューク朝のスルタン、サンジャルに宮廷詩人として仕え、1153年スルタンがグズ・トルコ人の捕虜になり、ホラサーン地方が略奪され荒廃に帰したときに詠んだ詩は『ホラサーンの涙』として知られ、古来きわめて名高い。サンジャルの死後保護者を失い、晩年は失意のうちに主としてバルフで過ごした。作品には頌詩、叙情詩などからなる『アンワリー詩集』があり、極度に技巧を凝らし華麗な表現が多く難解なことで定評がある。風刺詩人としても知られたが、そのために騒ぎを起こしたこともある。叙情詩の分野においても優れていたが、晩年は沈黙を守った。

[黒柳恒男]

『黒柳恒男著『ペルシアの詩人たち』(1980・東京新聞出版局)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンワリー
Anwarī, Auḥad al-Dīn Muḥammad

[生]1116頃.ホラーサーン,アビーワルド
[没]1190頃
ペルシア最高の頌詩詩人トゥースで教育を受け,のちにセルジューク朝スルタンのサンジャルに宮廷詩人として仕えた。天文学,数学,哲学にも秀で,豊かな学識とすぐれた技巧を駆使したその詩には難解なものが多い。代表作『ホラーサーンの涙』は,1153年オグズトルコ族の侵入の結果荒廃したホラーサーン地方をいたんで詠んだ詩で,英訳もある。『アンワリー詩集』 Dīwān-e Anwarīは頌詩を主体とし,すぐれた抒情詩も収める。

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世界大百科事典 第2版の解説

アンワリー【Anwarī】

1116?‐89
イランの詩人。ホラーサーン地方のダシュテ・ハーウラーンの出身。アンワリーは雅号。イラン北東部トゥースのマンスーリーヤ学院に学び,その知識は天文学の分野にも及び,セルジューク朝の文人王,サンジャル(在位1117‐57)の宮廷詩人となる。グズ(オグズ)・トルコ族によって荒廃したホラーサーン地方の窮状を訴えた詩句は欧米に名高い。もっとも難解,かつ豊かな比喩を使った第一級のイランの頌詩詩人だが,晩年は不遇で,バルフに病した。

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世界大百科事典内のアンワリーの言及

【ペルシア文学】より

… 11世紀初頭から13世紀にかけてトルコ系ガズナ朝,セルジューク朝の支配が続いたとはいえ,これらの王朝も文化的には完全にイラン化してサーマーン朝以来の伝統的文化政策を踏襲したため,異民族王朝支配下においてもペルシア詩は隆盛の一途をたどり,11世紀前半ガズナ朝スルタン,マフムードの宮廷には400人ものペルシア宮廷詩人が仕えていたといわれ,桂冠詩人の制度が設けられ,ウンスリー‘Unṣurī,ファッルヒーFarrukhī,マヌーチフリーManūchihrīらの頌詩詩人が活躍し,ペルシア古典詩の主流になった〈ホラーサーン・スタイル〉を確立し,アラビア語彙を多く採り入れて表現をさらに豊かにした。11世紀後半から12世紀前半にかけてのセルジューク朝支配時代にはペルシア詩は質量ともに最高潮に達し,宮廷詩人としてはムイッジーMu‘izzīをはじめ,頌詩の最高詩人アンワリーが現れた。異端イスマーイール派を信奉した神学・哲学詩人ナーシル・ホスローや,ペルシア詩の代表詩人として世界的に有名な《ルバーイヤート(四行詩集)》詩人ウマル・ハイヤームが活躍したのもこの時代である。…

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