ホラサーン(読み)ほらさーん(その他表記)Khurāsān

デジタル大辞泉 「ホラサーン」の意味・読み・例文・類語

ホラサーン(Khurāsān)

太陽の昇る国の意》イラン東部からヒンズークシ山脈以南に至る地方名。中央アジアとイランを結ぶ要地で、アレクサンドロス大王に征服されて以来、数々の国の領土となった。現在はイラン・アフガニスタントルクメニスタンに分属。フラサーン。コラサーン。

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精選版 日本国語大辞典 「ホラサーン」の意味・読み・例文・類語

ホラサーン

  1. ( Khorāsān ) イラン北東部の地方名、また州名。古くは北方遊牧民のイランへの進入路にあたり、また、シルクロードが通じていた。ターヒル・ガズニ・セルジュク・ホラズムの諸王朝が交替して支配。一三世紀にモンゴル軍、一九世紀にロシア軍の侵略を受け、ロシアのメルブ占領以来、中央アジアとイランとの国境線が引かれてイランの一州となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホラサーン」の意味・わかりやすい解説

ホラサーン
ほらさーん
Khurāsān

イラン東部からヒンドゥー・クシ山脈以南までの地の歴史的名称。「太陽の昇る地」の意。言語のうえではペルシア語文化圏に属する地域である。イスラム期には、ネイシャーブール(ニーシャーブール)、ヘラート、マルブ、バルフを中心とする四つの地方に分かれていた。アラブの征服によって7世紀中ごろから住民のイスラム化が始まり、アッバース朝革命では運動の中心地となった。9世紀前半には最初のイラン系独立王朝であるターヒル朝が成立。以後、サーマーン朝、ガズナ朝セルジューク朝の中心地となった。オアシス農業と牧畜が経済の中心で、交易の中継地としても繁栄した。イスラム世界と中央アジアとを結ぶ、地理的に重要な位置にあり、トルコ人、モンゴル人の西方移動の舞台となった。モンゴルの侵入と数回の大地震によって衰退した都市もあるが、ティームール朝期にはヘラートを中心に再興した。現在ではホラサーンとはイランの東部の州の名であり、州都マシュハドである。

[清水宏祐]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ホラサーン」の解説

ホラサーン
Khurāsān

イラン北東部の地方。「太陽の昇る地」の意
歴史的にはアム川以南,ヒンドゥークシ山脈以北の地域を含み,北方遊牧民が中央アジアを南下してインド・イランにはいる要路にあたる。パルティアの発祥地であり,ササン朝の滅亡後はイスラーム化し,アッバース朝革命の中心地となった。以後多くのイスラーム王朝が興亡したが,ティムール朝ではこの地のヘラートが首都となり,文化の中心となった。

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