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インド独立法 インドどくりつほうIndian Independence Act

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インド独立法
インドどくりつほう
Indian Independence Act

1947年イギリス領インドのイギリスからの独立を規定した基本法。インドとパキスタンの分離独立を定めた同年6月3日の「マウントバッテン計画」を法文化したもので,7月4日イギリス議会に提出され,同 18日採択され,国王の裁可を得て,8月 15日発効した。その要点は (1) 8月 15日を期してイギリス領インドをインド,パキスタンの2つの自治領国家に分離独立させる,(2) 両国家の憲法制定まで,立法権はそれぞれの制憲議会に移し,行政権は同議会から選出される内閣に移される,(3) イギリス国王の藩王および藩王国 (→インド藩王国 ) に対する宗主権は消滅する,藩王国と両自治領国家の関係は,相互の話合いで決める,(4) 両自治領国家の中央と州の政治は 35年のインド統治法に基づいて行われ,両国はこの統治法に必要な変更を加える,などであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

インド独立法
いんどどくりつほう

植民地インドの独立を規定した基本法。1947年8月14日と同15日、パキスタンとインドはそれぞれイギリス支配から脱した。このインド、パキスタン分離独立の根本を規定したのがインド独立法とインド統治法(1935)である。インド独立法は全体が20条、三付則から構成され、その基調は、インド、パキスタン分離独立を最終的な打開策とした1947年6月3日のインド総督マウントバッテン計画に求められる。同法は1か月後の7月3日にイギリス議会で可決され、イギリス国王の裁可を経て同年8月に発効した。
 同法の特徴としては、まずインド、パキスタン双方の国家形態が自治領であること、制憲議会は立法府としての役割を果たすこと、イギリスはインド軍に対する統帥権を失うこと、などであった。かくてインドは、二百数十年にわたるイギリス支配に終止符を打った。その後、50年1月に憲法が施行され、主権在民の共和国体制が確立された。インド独立法は一面で憲法施行への過渡期の基本法ともいえるものであった。[中村平治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のインド独立法の言及

【インド[国]】より

…票決に参加した人々,すなわち分割による独立か統一による独立かという決定に参加した人々の数は600人前後であった。分離独立の直接の法的根拠となったのはインド独立法Indian Independence Actとよばれるイギリスの法律で,47年7月18日に制定された。
[分離独立]
 パキスタンは47年8月14日,インドは翌15日に独立した。…

※「インド独立法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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