統帥とは国家の軍隊に対する指揮・命令の作用をいい、統帥権はその作用に関する最高の権力をいう。この語は、とくに明治憲法のもとで、天皇の統帥大権(軍令大権)や「統帥権の独立」のように用いられた。一般に、軍隊の最高指揮権・命令権は君主や大統領のような国家元首が握るのであるが、第二次世界大戦後、旧西ドイツの国防軍の場合(命令権・司令権Befehls- und Kommandogewalt)、ボン基本法で、平時においては、連邦国防大臣に、戦時(防衛事態)には連邦首相に与えられ、また日本の自衛隊の場合(最高の指揮監督権)には、自衛隊法により、内閣を代表する内閣総理大臣に与えられている。そして西ドイツの場合、前述の命令権・司令権は連邦政府の執行権のなかに位置づけられ、日本の場合には内閣の行政権に含まれると考えられている(ただし自衛隊の違憲問題を別として)。
明治憲法のもとで天皇の大権たる統帥権は、軍令大権とも帷幄(いあく)の大権ともいわれ、国務大臣の輔弼(ほひつ)の外にあるという意味で一般国務より独立したものと考えられていたが、これは憲法の成文に基づくものではなく、主として事実上の慣習および実際の必要によるものであった。天皇の統帥権行使を補佐する機関として、参謀総長(陸軍)、軍令部長、のち軍令部総長(海軍)、元帥府、軍事参議院、大本営などが置かれた。統帥(軍令)と区別される語に軍政があるが、軍政とは軍隊の組織編成・人事・予算など、作戦用兵に関する事項以外の軍隊の行政作用をいい、一般国務として陸軍大臣・海軍大臣が輔弼した。しかし、統帥補佐機関と内閣(とくに外交)との対立は、軍部支配をもたらす要因ともなり、「軍国主義ノ弊」(美濃部達吉(みのべたつきち))と批判されるところとなった。
民主主義国家においては、戦闘を遂行する軍事力の最高指揮・命令権、すなわち統帥権に対して、文民による政治の優越を確保するために、文権優越civilian supremacyないし文民統制civilian controlの制度が設けられている。軍隊や軍人に対するシビリアン・コントロールの制度の基礎には、市民ないし国民の優位、国民代表機関たる議会によるコントロール、政府による軍隊の管理・運営がある。アメリカ合衆国では憲法上、大統領が最高司令官commander in chiefとして統帥権を握るが、連邦議会はベトナム戦争の反省として、大統領の軍隊投入を制限するために、1973年11月、上下両院合同決議による戦争権限法を定めた。
[古川 純]
『中野登美雄著『統帥権の独立』(1973・原書房)』▽『大江志乃夫著『統帥権』(1983・日本評論社)』▽『三潴信吾著『統帥権について――デモクラシーと国防軍』改訂版(1984・八幡書店)』▽『菊田均著『なぜ「戦争」だったのか――統帥権という思想』(1998・小沢書店)』▽『慶應義塾大学法学部政治学科玉井清研究会編・刊『統帥権干犯問題と日本のマスメディア』(1999)』
軍隊の最高指揮権。これは君主国,共和国を問わず国家の元首である君主,大統領あるいは首相が掌握するのが通例。日本の場合,太平洋戦争敗戦時までは天皇にあった。なお,戦後自衛隊の最高指揮権は内閣総理大臣にある(自衛隊法7条)。統帥部が政府や議会から独立する,いわゆる統帥権独立制度の下にある国家は,第1次大戦までのドイツ,第2次大戦までの日本のごとく君主権力が強く,寡頭制の国家であり,制度的に政府や議会の統制下に統帥権が置かれている国家は,イギリス,アメリカなどのごとくデモクラシーの国家である。後者の場合には,統帥の権能も一般の国政と同様に扱われ,シビリアン・コントロール(文民統制)が原則として採用されている。
日本はドイツにならって1878年参謀本部を設置し,参謀本部長が直接に天皇に対して統帥事項を奏上する帷幄(いあく)上奏を認め,これが帝国憲法制定後も慣例的にひきつがれた(11条)。また帝国憲法12条は別に軍編制(軍政)大権を定めたが,軍部はこれにも統帥権は及ぶとの解釈をとり,現役武官大臣制(軍部)を主張し,これがほぼ慣例となった。第1次大戦後,帝国主義国家の中では日本だけが統帥権独立制度下にあった。そのため,植民地・従属国の反帝国主義運動への対応,ならびに昭和恐慌の中での社会諸階層の生活の困難などを,政府を掌握していた政党勢力が解決できなかったことから,統帥権独立制度に依拠する軍部が台頭し,本来は絶対主義的性格をもつこの制度が,20世紀の30年代に新たな存在理由を与えられて強化された。
第2次大戦後,統帥権独立制度をとる国はなくなったが,統帥権も含む軍事問題にも新たな問題が起きてきた。一つは第三世界における軍部を背景とする強権的体制の持続である。これは戦前における統帥権独立制度下での軍国主義国家と同様の相貌を呈している。戦前のドイツ,日本などにおいて,軍部はこの制度下で主として対外的軍隊として機能し,それゆえに対外戦争,戦闘で矛盾を表面化し解体していったが,戦後の国際関係の中では軍隊自体が主として対内的軍隊として機能し,軍隊の存在が軍事費の増大,産業と結びついて,国内の民主主義の制限などを構造的にもたらすようになってきている。もう一つは,この対内的軍事化が先進資本主義国や社会主義国でも進行しており,古典的軍国主義とは異なる社会の全領域での軍事化の現象がみられることである。第三世界を含め国際システムとして軍事化が進んでいるのである。一方このことは,世界の反軍拡,反軍国主義運動の連帯の基礎にもなっている。また,統帥権もこの構造に規定されて世界各国の垂直的・水平的関係に応じて従属,あるいは相互依存的になってきていることにも注目する必要がある。
執筆者:雨宮 昭一
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国軍に対する命令権。1878年(明治11)12月5日の参謀本部設置によってその独立が保障され,大日本帝国憲法第11条で天皇の大権とされたが,内容については,軍と政府,あるいは憲法学者で解釈に差があった。軍側は,軍隊の動員・出動命令・指揮運用・教育訓練・編制・軍紀維持に関する権利はすべて包含されるとし,政府は,軍隊の編制・維持は国務大臣の輔弼(ほひつ)事項であると解釈して対立した。浜口内閣のロンドン海軍軍縮条約問題で両者の見解が衝突した。軍側は統帥権独立の典拠として,憲法第11条と帷幄(いあく)上奏制をあげていた。
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…これ以後,軍制はしだいに整備される。 明治の陸海軍のさまざまな軍の制度のなかで,もっとも中心的な問題は統帥権の独立である。明治初年にはフランス国防組織の伝統である,軍政・軍令の国務大臣責任制を採用したために一元主義であったが,明治10年前後から陸軍はドイツ軍制の影響を受けはじめ,陸軍省は1878年12月,参謀本部を独立させ,統帥権の独立が始まった。…
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