日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィルヒョウ」の意味・わかりやすい解説
ウィルヒョウ
うぃるひょう
Rudolf Ludwig Carl Virchow
(1821―1902)
ドイツの病理学者、政治家。プロイセンの一地方ポメラニア(現、ポーランド)の小都市に生まれ、ベルリンでミュラーに師事して医学を学んだ。慈善病院の剖検医を経て、1849~1856年ウュルツブルク大学教授。1856年ベルリン大学に迎えられ、終生、病理学教室を主宰した。
ウィルヒョウが残した最大の遺産は細胞病理学である。彼はシュワンの細胞説を一歩進め、「すべての細胞が細胞から」生まれると主張して、細胞が生命の基本の単位であることをはっきりさせた。さらに、病気も異なった条件における生理にほかならず、したがってあらゆる病理現象は、生理の担い手としての細胞の変化に帰着すると説き、この立場から病理学の広範な分野にわたって研究を進めた。今日使われている、白血病、感染症、血栓など、50に及ぶ術語が彼に由来している。その活動領域は公衆衛生や人類学に及んだ。都市衛生の改善に尽力し、シュリーマンのトロヤ発掘を援助したのもその例である。
また政治に深い関心をもち、1861年以降プロイセン下院議員として進歩党を結成して議長を務め、1862年以降の憲法論争では宰相ビスマルクと対立した。彼の門からは次代を担った多数の医学者が輩出したが、日本からも三浦守治(1857―1916)、山極勝三郎(やまぎわかつさぶろう)らが学んでいる。主著に『細胞病理学』(1858)、『病的腫瘍(しゅよう)』(1863~1867)などがある。
[梶田 昭]