オザンファン(読み)おざんふぁん(英語表記)Amédée Ozenfant

デジタル大辞泉 「オザンファン」の意味・読み・例文・類語

オザンファン(Amédée Ozenfant)

[1886~1966]フランス画家・美術理論家。1918年、ル=コルビュジェとの共著キュビスム以後」でピュリスム純粋主義)を提唱し、その代表的な存在となった。

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精選版 日本国語大辞典 「オザンファン」の意味・読み・例文・類語

オザンファン

  1. ( Amédée Ozenfant アメデ━ ) フランスの画家、美術理論家。一九一八年ル=コルビュジエと共に、最初ピューリスム(純粋主義)宣言「キュビスム(立体派)以後」を発表、以後雑誌発行や学校設立などを行なう。(一八八六‐一九六六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オザンファン」の意味・わかりやすい解説

オザンファン
おざんふぁん
Amédée Ozenfant
(1886―1966)

フランスの画家。故郷サン・カンタン素描を学び、ついでパリの美術学校の建築科に入学するが、絵画へと方向を転じ、いわばキュビスムの外周にあって、そのより純粋な、非主観的な世界を目ざす。1915年より1917年まで雑誌『エラン』を発行し、ここで彼のピューリスム(純粋主義)の理論的基礎を置き、1917年ジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)と出会い、翌1918年、二人の共著による『キュビスム以後』でピューリスムを宣言する。その後1920~1925年、やはりジャンヌレとともに雑誌『エスプリ・ヌーボー』を発刊し、かたわら総合的キュビスムの厳密化というべき作品を発表。1935年よりロンドン、1938年以降はニューヨークに住み、ここでオザンファン美術学校を創設。第二次世界大戦後帰国し、パリに没した。

[中山公男]

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改訂新版 世界大百科事典 「オザンファン」の意味・わかりやすい解説

オザンファン
Amédée Ozenfant
生没年:1886-1966

フランスの画家。サン・カンタン生れ。初めキュビストとして活躍したがこれに十分満足せず,1918年に画家で建築家のジャンヌレCharles-Édouard Jeanneret(ル・コルビュジエ)と共に〈ピュリスムpurisme(純粋主義)〉を提唱して,明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。20-25年,共同で雑誌《エスプリ・ヌーボーL'Esprit Nouveau(新しき精神)》を刊行。30年以降,パリ,ロンドン,ニューヨーク(1938渡米)で美術学校を設立。理論家として優れ,〈ピュリスム〉宣言である《キュビスム以後》(1918,ジャンヌレと共著),《近代絵画》(1925,同,邦訳1968)等の著書がある。
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百科事典マイペディア 「オザンファン」の意味・わかりやすい解説

オザンファン

フランスの画家,芸術理論家。サン・カンタン生れ。建築と絵画を学び,サロン・ドートンヌやアンデパンダン展に参加。のち理論活動に傾き1915年に雑誌《レラン》を発刊,1918年にジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)とともに《キュビスム以後》を著してピュリスムを唱道した。1930年代以降はパリ,ロンドン,ニューヨークでおもに美術教育家として活躍。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オザンファン」の意味・わかりやすい解説

オザンファン
Ozenfant, Amédée

[生]1886.4.15. サンカンタン
[没]1966.5.4. カンヌ
フランスの純粋主義 (ピュリスム) の画家。 1918年に建築家ル・コルビュジエとともに『キュビスム以後』 Après le Cubismeを発表して「ピュリスム宣言」を行い,19年にはル・コルビュジエ,詩人 P.デルメらと共同で,雑誌『レスプリ・ヌーボー』を発刊した。 38年アメリカに渡り,ニューヨークにオザンファン美術学校を設立。 55年帰国した。著書『近代絵画』 La peinture moderne (1925,ル・コルビュジエと共著) 。

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世界大百科事典(旧版)内のオザンファンの言及

【ル・コルビュジエ】より

…また,家は〈住むための機械machine à habiter〉であると語り,近代建築理論を導いた。 他方,1917年,画家A.オザンファンと出会い,翌年彼と《キュビスム以後》を著し,装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。また20年《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》誌を創刊。…

※「オザンファン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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