コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

オザンファン オザンファン Ozenfant, Amédée

6件 の用語解説(オザンファンの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オザンファン
オザンファン
Ozenfant, Amédée

[生]1886.4.15. サンカンタン
[没]1966.5.4. カンヌ
フランス純粋主義 (ピュリスム) の画家。 1918年に建築家ル・コルビュジエとともに『キュビスム以後』 Après le Cubismeを発表して「ピュリスム宣言」を行い,19年にはル・コルビュジエ,詩人 P.デルメらと共同で,雑誌『レスプリ・ヌーボー』を発刊した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

オザンファン(Amédée Ozenfant)

[1886~1966]フランスの画家・美術理論家。1918年、ル=コルビュジェとの共著「キュビスム以後」でピュリスム純粋主義)を提唱し、その代表的な存在となった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

オザンファン

フランスの画家,芸術理論家。サン・カンタン生れ。建築と絵画を学び,サロン・ドートンヌアンデパンダン展に参加。のち理論活動に傾き1915年に雑誌《レラン》を発刊,1918年にジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)とともに《キュビスム以後》を著してピュリスムを唱道した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

オザンファン【Amédée Ozenfant】

1886‐1966
フランスの画家。サン・カンタン生れ。初めキュビストとして活躍したがこれに十分満足せず,1918年に画家で建築家のジャンヌレCharles‐Édouard Jeanneret(ル・コルビュジエ)と共に〈ピュリスムpurisme(純粋主義)〉を提唱して,明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。20‐25年,共同で雑誌《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》を刊行。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

オザンファン【Amédée-Julien Ozenfant】

1886~1966) フランスの画家・美術評論家。1918年ル=コルビュジエとピューリスム運動を展開、その代表的存在となる。著「新しき芸術」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オザンファン
おざんふぁん
Amde Ozenfant
(1886―1966)

フランスの画家。故郷のサン・カンタンで素描を学び、ついでパリの美術学校の建築科に入学するが、絵画へと方向を転じ、いわばキュビスムの外周にあって、そのより純粋な、非主観的な世界を目ざす。1915年より17年まで雑誌『エラン』を発行し、ここで彼のピューリスム(純粋主義)の理論的基礎を置き、17年ジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)と出会い、翌年、2人の共著による『キュビスム以後』でピューリスムを宣言する。その後20~25年、やはりジャンヌレとともに雑誌『エスプリ・ヌーボー』を発刊し、かたわら総合的キュビスムの厳密化というべき作品を発表。35年よりロンドン、38年以降はニューヨークに住み、ここでオザンファン美術学校を創設。第二次世界大戦後帰国し、パリに没した。[中山公男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のオザンファンの言及

【ル・コルビュジエ】より

…また,家は〈住むための機械machine à habiter〉であると語り,近代建築理論を導いた。 他方,1917年,画家A.オザンファンと出会い,翌年彼と《キュビスム以後》を著し,装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。また20年《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》誌を創刊。…

※「オザンファン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

オザンファンの関連キーワードアルトゥングバザールフロマンタンクータンスサント・ヴィクトワール山ドラクロワ礼賛ランタン炭山田キクサン・カンタンファンタン・ラトゥール

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone